君が描く未来予想図に僕が居なくても。

君といるだけで I'm so satisfied.

「推し」に対する向き合い方と考え方

「推し」に対する向き合い方っていうのは本当に千差万別、十人十色だと思っている。だが、まああくまでここでは僕の場合の向き合い方を書こうと思う。

 

基本的な考え方

基本的に僕は「そのジャンルでの1番は決まってるけど、好きな子は分け隔てなく好き」なタイプである。

 

「1番好きなポケモンは?」に対する返答は「ゴンベ」なんだけど、「他は?」って聞かれた時の「ドダイトスフシギバナヤドンデンリュウ、etc」にはそこまで差がなく、分け隔てなく好きだと思う。

その時の気分、アイドルで言うところのモチベもある。関係ないけどモチベっていう概念難しいなって最近よく思う。

 

「分け隔てなく」がテーマなので、握手券だったりチェキだったりは基本的に1:1:1:1…にしたいと思っている。

 

時期別 僕の向き合い方

①1:1:1:1が大体できていた頃(在宅〜在宅脱出)

HKTのヲタクをしていた時の僕。

宮脇、本村、植木、穴井、岡田、田中優、朝長あたりでモチベの変動はありつつも飛び抜けて好きな子は本村が頭1つ抜けてたぐらいで、握手会に行き始めても10枚取って本村だけ2枚、あとは8人1枚づつみたいな取り方をしていた。

本当はこのスタンスで今もヲタクしたいと思ってる。

 

 

ちょっと論点ズレるけど、僕は1回目のチェキはその場のノリで行ってしまうタイプである。

 

だが、3回目ぐらいからは「ちゃんと応援したいな」と思わないと並ばない。明確にそう決めてる訳じゃないけど、「グループが変わっても会えるなら会いに行くだろうな」ぐらいの熱量は無いと2、3回目以降並ぶことはあんまりない。この1年間で22人に並んで自分の意思で(代行とか抜きで)複数並んだのが9人、5回以上だと5人まで減るからそういうことだと思う。

※(数字は2021/07/15現在)

 

②バランスブレイカーに出会ってからの僕

高3でSTUに通い始めた僕。推しメンはまあ絡んでた人なら知っていると思う。Fさんである。彼女は僕のアイドルヲタクとしての金銭感覚をぶっ壊した人間である。

 

カウントしてない日とか、推し増しに回したけど記録してないやつとか絶対あると思うからこの数字がどこまで正しいのか分からないんだけど、自分の主計算で2017年に初めてFさんに並んでからコロナになるまでの握手券の割合を計算すると、F田さんが77%を占めている(らしい)。

Fさんの次に並んだ人が6%らしいから、我ながら割と一途にFさんに通っていたのだなと思う。

 

③「握手券」が「チェキ」に変わってからの僕

ほんとはチェキだって1:1:1:1ぐらいにしたいんだけど、相変わらずこっちにもバランスブレイカーがいる。

2021/07/15現在だと

1位 某紫色担当Mさん 56.4%

2位 元黄色担当Aさん 8.3%

2位 某黄色担当Mさん 8.3%

2位 某水色担当Rさん 8.3%

5位 某白色担当Nさん 3.8%

(以下略)

になる。こっちでは某紫さんがバランスブレイカーである。

 

まああんまりこういうこと言いたくないけど、1位の人と元黄色の人は長らく他の2人に比べてチェキが1.5倍の値段だったことを考えるとまた話変わってくるんだけど、まあ今回は考えない事とする。

 

しかし、2位の3人のチェキの枚数が同じなの我ながら無駄にこういうとこ気にする僕の性格が出てるなあと思う。こんなの自分から言わなきゃ本人たちは絶対分からないのに、自分で勝手に制限をかけてしまうんだよな。まあ多分あと1ヶ月もすればここに某緑色担当のYさんが入ってくるし、誰かの枚数が増えてるとは思うんだけど。

 

関係ありそうで関係ない話

 

僕がヲタクをする上で1番大事なことは「①好きな子に迷惑をかけないこと」、その次は「②楽しいと思ってヲタクできるか」だと思っている。

 

多分ヲタクとしてアイドルに好かれるのは1推し100%のヲタクだと思う(そうすれば必ずしも好かれる訳では無いんだけれど)、でも僕は②を優先した結果100%にはならない。あくまで僕の場合は、の話だけど。

別に1人に100%の人を否定もしないし、10%を10人に配る人も否定しない。人のヲタクのやり方を批判するほど自分がよく出来たヲタクじゃないと思うから。

 

でも、これは誰にでも言えると思うけど「ヲタクしてて楽しいな」の気持ちは本当にめちゃくちゃ大事だと思っている。それと、「推しメンめちゃくちゃ好きだわ」の気持ちも大事だと思う。仲のいいヲタクと推しメンの好きなところディベート大会をする時間、お互いの推しの惚気エピソードを語る時間、何もかもが楽しい。そう思える今がヲタクとして幸せだととても感じる。

 

この話で言うと「アイドルしてて楽しいな」と向こうにも思っていて欲しいんだけど、この話は長くなりそうだからまた今度にしよう。

 

おわりに

 

恥ずかしながら普段のヲタク論垂れ流しブログは練りに練って書くタイプなんだけど、今日は勢いで30分ぐらいで書き上げてしまったから内容が薄っぺらいブログになってしまった。こんな文でも最後まで読んでくれてありがとうございます。また適当にアイドル観を垂れ流すやつやろうと思うのでよろしくお願いします。

 

 

 


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うちの推しメンかわいいな。

 

 

 

 

 

 

熱中症かなんか分からんけど死にかけた話

僕の部屋は弟の部屋と繋がっていて、と言うよりひとつの大きな部屋がふすまで仕切られているんだけれど、エアコンが弟の部屋側にある。これが何を意味するか、そう、暑い。結構信じられないぐらい暑い。窓全開にしてても汗止まらんぐらいには。

 

とはいえ、弟がクーラーをつけてふすまを開けておけば普通にめちゃくちゃ涼しいので、寝る時はさほど苦労しない。なんならリビングと同じクーラーをリビングより閉鎖的な空間で使用しているのだから大変快適である。

 

ただ、ずっと開けているわけにもいかない。僕は夜遅くまで音楽聞いてるし、アイドルの配信を見ている。弟だってプライベートの時間があるし、ふすまが空いているかどうか、はいくら仲のいい兄弟でも割と気になるものである。

 

それに、だいたい僕の方が寝るのが遅いからふすまを開けてしまうと電気が付いていて寝れないのもあるだろう。だから、大体のルーティンは弟がクーラー付けて、寝て、数時間後に僕が寝る前にふすまを開けてクーラーで一気に冷えた部屋で寝る、というもの。この「①ふすまを開ける(クーラー)」が超快適、「②窓全部を閉める」が最悪だとすると、その間に「③窓を開ける」があって、②で限界が来たら③にして、③でも無理だったら①にして寝る、という(冷静に考えれば)自分の体に負担がかかりすぎる方法で暑さを凌いでいた。

 

 

・・・とはいえ、結構異常な暑さなので親からこの方法はかなり心配されていてずっと「最初からふすま開けとかないつかあんた死ぬで」と言われていた。まあでも開けたくない気持ちは僕もわかるから、僕が弟側の味方をして(なんと優しいお兄ちゃんでしょうか)寝る前に毎日律儀にふすまを開ける日々だった。

 

 

さて前置きが長くなったが、今日2時頃の僕はYouTubeを垂れ流しながらレポートを書いている最中に寝落ちをした。①のふすまを開ける前、そして③にすら行く前の②窓を開ける前、である。多分40分ぐらい寝てたと思う。

 

目覚めた瞬間ズボンがびしょ濡れで、大学生にもなっておねしょかと思ったが体もびしょ濡れだったので汗だと気づいた。元々汗かきではあるのだが流石にこれは不快なのでいやーこれはやらかした、とか思いながら立ち上がった瞬間、そのまま後ろ向け(布団側)に倒れてしまった。全く体に力が入らなかった。

 

その瞬間に猛烈な吐き気と「暑いのに寒い、寒いけど暑い」風邪の時のうよな感覚に襲われ、直感的に「これヤバいやつ」という危険信号に脳が支配された。人間の防衛本能だろうか。リビングまで行って水がぶ飲みしてしばらくして落ち着くまでは動悸が凄くて、クラクラもするし、結構マジで倒れそうだった。

 

服も着替えて1時間以上経った今はだいぶ落ち着いたんだけどまだなんかしんどいし、アドレナリンが出てるのか分からんけど眠気が0だし、非常にめんどくさいけどこれ起きてなかったらマジで死んでたかもしらんなとか思うとたまたま起きて良かった。

 

我ながらすぐ水飲みに行ったのファインプレーだと思った。水飲んだ所からの回復が凄かったし、熱中症というより脱水症状だったのかもしれない。不健康とはいえ大学生の僕がこれやから、そらおじいちゃんおばあちゃんが部屋で熱中症で死んでるの見つかるわな。

 

自分のコンディションを振り返ると昼にラーメン食って、適当に冷蔵庫にあったご飯レンチンしてそれをおにぎりにして(多分1合ないぐらい)ドームに持って行って食べたのが晩御飯だったんだけど、明らかに腹減ってたし晩御飯ちゃんと食べなかったのが良くなかったかもしれない。起きてから下痢ヤバかったから、適当にレンチンしたご飯に当たった可能性もあるんだけど。

 

僕は実家暮らしだからなんとも言えないけど、光熱費削減でクーラー付けるの躊躇ってる一人暮らしのあなたは今すぐクーラー付けて寝てください、そして水も飲んでください、ご飯も食べた方がいいです。

 

無理と我慢は良くない、ということを身をもって学びました。気をつけます。

 

 

 

という文章を、窓は開けたがふすまを開けずに書いている僕。こういうところがダメなんだよなあ本当に。ちゃんとふすまを開けて寝ます。おやすみなさい。

 

 

 

若さとは不器用でやり残すもの

 

10年、という月日は長いようで短くて、短いようで長い。でも、鹿児島の13歳の女の子が、世界に羽ばたく23歳になる10年がとっても濃かったのは間違いないと思う。6月19日、マリンメッセの幕が閉じて、宮脇咲良から、HKT48の肩書きが消えた。

 

ちょっとまだ落ち着いて考えられないから、セットリストがどう、という話は今はしない。明日の新幹線でゆっくり書こうと思っているから、そのうち上がる暇な人が書いた文章を暇な人は暇な時に読んでくれよな。

 

それでもどうしても今日消化したい話があって、まあお察しの通り兒玉遥歌い出しの大人列車である。


動き出した車輪 君が乗っているのに…


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僕が好きになった時のHKTは、この2人が真ん中にいた。僕が好きだった時のHKTは、この2人がセンターにいた。僕がHKTから遠のいたとき、この2人はHKTにいなかった。

 

僕は自分自身「穴井千尋が抜けたから」or「兒玉遥が抜けたから」HKTを見なくなったのだと自己解釈していたけど、そういう訳ではなかったんだな、と今日気づいた。「兒玉遥が抜けたから」じゃなくて、「兒玉宮脇が崩れたから」だったんだと思う。

 

2人が抜けてもHKTが好きだという綺麗事を、本当は僕だって書きたい。実際、HKTを嫌いになった訳じゃない。とっても素敵なグループだと改めて感じた。

 


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でも、僕のヲタク人生第一章は確実に今日幕を閉じた。僕の好きになったHKTは宮脇兒玉指原だから。幕を降ろす人物は宮脇咲良だと思っていたけど、本当は兒玉遥卒業で降りるはずだった幕を宮脇咲良という存在が押し返していたんだと気づいた。兒玉遥からHKT48の肩書きが消えた時、確実に車輪は動き出したのに、僕は間に合わなかった。まさかあんなに急だなんて、知らなかったから。当然の引っ越しを聞かされて、立ち尽くしかなかったから。

 

“さよなら”を言えば 自分の気持ち

・・・をちゃんと整理出来ていたのか、当時の僕は分からなかったけど、今日やっと出来たと思う。穴井千尋さんが出てこなかったのは寂しかったけど、あの人はとっても素敵な卒業コンサートと卒業公演があったから、その現場にいた訳じゃないけれど、“さよなら”を心の中で言えたんだと思う。


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兒玉遥さんにはそれがなかったのが、僕はとても辛かったし、きっとずっと引きずっていたんだな、というのを今日感じた。

 

 

今しか出来ないこと

コロナが無かったら、もっと大きなステージだったかもしれない。コロナが無かったら、もっとゲストが豪華だったかもしれない。コロナが無かったら、宮脇咲良ラストツアーを行っていたかもしれない。これは、今だから出来ないこと。

 

当たった人間、現場にいた人間だから言えるのかもしれないけれど、このタイミングでの卒コンはとてもちょうど良かったと思う。あのステージで指原と踊るのは指原にとっても悔いを晴らす場であり、宮脇兒玉矢吹が揃ってステージに立つのが宮脇なりの指原への感謝の気持ちだろう。余談だが、宮脇兒玉矢吹が指原の卒コンに出れなかった話をする度に後ろのお姉さんが号泣していた。卒コンのこのタイミングはやっぱり“今しか出来ないこと”。

 

何より、兒玉遥である。本人もそう言っていて(それを聞いて僕は号泣していたが)やはり本人もあの終わり方は相当悔しかっただろうし、本意ではなかったはずでる。それを宮脇がくみ取って卒コンに呼んでくれたこと、兒玉が来てくれたことが僕は本当に嬉しかった。

 

正直、兒玉遥が来たとして披露するなら「君と僕の関係」だと思っていた。痩せたとはいえステージ離れが続いているし、体力のこともあるから最悪踊らなくても何とかなる曲、となると「君と僕の関係」が“さくはる”っぽいなあと思っていたわけである。

 

少し“さくはる”の話をすると、両者がお互いを良きライバルと認めあっている“なこみく”や、片方が片方を慕っていた“じゅりれな”とは少し違うと思う。

 

お互いが違う方向に進むことでよりペアとしての力を高めたケースはやはり“さやみるきー”であろう。でも、それもなんだか“さくはる”とは違う気がする。“さくはる”は片方がどうだからどうなる訳でも、はっきり書くけどめちゃくちゃ仲良いわけでも、片方が片方のことを考える訳でもなく、「本当にしんどい時に相手が背中を押してくれる」のが“さくはる”で、でもお互い背中を押しているつもりはない、という不思議な関係性なんじゃないかなあと思う。ダブルセンターであったり、シンメであったりすることが多かった“さくはる”だけど、不思議と背中合わせの振りが多かった気がするのは気のせいだろうか。お互いが言葉じゃなく、見つめ合うわけでもなく、ただお互いの背中でお互いを理解する感じが、そしてお互いを助け合う感じが、なんとも“さくはる”らしくて好きだった。

 

そんな2人の、“さくはる”のラストに選んだ曲が「大人列車」だというのも、自分の卒業コンサートを使って あの瞬間だけでも開催が叶わなかった兒玉遥卒業コンサート(+そのステージの兒玉遥の横に宮脇咲良がいること)をやってのけたのも、それがソロでも2人曲でなく全員曲なのも、全部が「HKTのために」アイドルをしていた宮脇咲良らしくて、そして何も言わずに助け合う“さくはる”らしくて、僕は嬉しかった。

 


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デビュー曲もデビューシングルもセンターを後輩に取られた1期のエースコンビなんて、後先見ても“さくはる”だけだろう。10年前のスタートラインから文字通り苦楽を共にした2人の終わりはセットで終わって欲しかった。それが叶うには3年近くブランクが空いたけど、この3年があったからこそより一層今日の大人列車は響いたし、胸を打たれた。“今しか出来ないこと”だったと思う。

 


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田島さんが辞める時は“めるみお”を揃えて欲しいな。それはそれでめちゃくちゃ泣く気がするけど。

 

もどかしいだけの青春

僕の青春はHKT48だったし、さくはるだった。当時は在宅しか出来なくて、それこそ本当にもどかしいばかりの毎日だったけど、それでも楽しくて、そしてあの在宅時代も相まって今日がめちゃくちゃ楽しかったし、今日でひと段落というか、スッキリできたんだと思う。


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HKT48、ありがとう。楽しかった。

宮脇咲良ちゃん、ありがとう。10年間お疲れ様。

兒玉遥ちゃん、やっぱり大好きだった。お疲れ様。

 

またHKT48ヲタク第2章が始まったらお会いしましょう。

 

 

ヲタクとアイドルの分岐点

もしもあの時〜だったら、と考えたことがある人間は僕だけじゃないと思う。

 

あの時こうしてれば、とかあの時こうしてなければ、とかがいわゆる「たられば」の世界で、勉強ができたら、とか運動ができたら、とかも「たられば」。

 

「たられば」によって人生は分岐すると思う。

 

「あの日晴れてたら」とか、「好きな選手がFAで移籍しなければ」とか、自分の力ではどうしようも無いけど自分の人生に関わってくる「たられば」を「必然のルート分岐」、自分でどうにかできる範囲、自分の行動(それが自分の意思に沿ってたかどうかは別にして)によって起こった「たられば」を「行動のルート分岐」だとして、アイドルヲタクとアイドルが出会うことについて考えようと思う。

 

僕が今考えたワードなので、定義は曖昧すぎるけど。

 

後でまた触れるけど、必然のルート分岐と行っても本当に人にはどうしようもない場合と、誰かの行動のルート分岐によって産まれる場合がある。雨が降って試合が無くなるのはカイオーガの力を借りればまだしも人間の力ではどうしようも無い。でも、イチローMLBに行く未来は僕ら一般の野球ファンの力では変えれないけど、イチロー自身の選択、つまりイチロー行動のルート分岐によっては無かったかもしれないわけである。

 

Kさん(京都府・21歳)の場合

僕を例にして取り上げる。僕が「アイドルにハマった」っていう行動は2013年に発生していて、自分の意思だったかは微妙だけれどこれは大きな行動のルート分岐

 

物を嫌いになるのはきっかけがあるけど、好きになるのはきっかけがなかったりする。好きになるのに理由があることももちろんあるけど、結局人間なんて直感で好きになる気がする。まあ直感でも自分で選んだ選択肢ではあるから、「好きになる」っていうことは結局行動のルート分岐じゃないかな、と思う。決心のきっかけは理屈じゃなくて胸の衝動から始まる、とどこかのアイドルも歌っていたことだし。

 

さて振り返りに話を戻す。まだ“アイドル戦国時代”と呼ばれていたあの頃に数多いアイドルグループからHKT48を、そして岩立沙穂を選んだのはこれも行動のルート分岐。そっからSTU48のヲタクになったのも行動のルート分岐

 

ちょっとここを深堀するけど、僕がSTU48に流れたのは穴井千尋さんの卒業という要素が大きかった。ならこれは必然のルート分岐では?という考え方もわかる。

でも、1人が抜けてもそのグループを応援するかどうか決めるのは結局自分だから、「穴井千尋さんの卒業」というのは必然のルート分岐だったけどそれを超えた先の「STUに行った」僕の選択は行動のルート分岐だと思っている。

 

話を戻す。2020年、僕に穴井千尋さん卒業ぶりに大きめの必然のルート分岐が現れた。コロナウイルスである。

これにより、僕が予定していた握手会が相当な数潰れた。それを抜いても、僕のヲタクスタイルは変容せざるをえなかった。そして、コロナウイルスで握手会が無くなったことにより、元々知っていたアイドルAさんの現場の日が暇になっていた。ここまでがコロナウイルスによる必然のルート分岐

 

もちろん「行かない」択もあったけど、僕は会いに行った。正直こんなことになるとは全く思ってなかったけれど、それでも「行く」という選択を取ったのは僕で、間違いなくこれは行動のルート分岐だった。

 

まあ、1年間色々あった。詳しくは適当にここを掘れば出てくるので割愛するけれど。

 

1つエピソードを拾うとしたら、タイミングは違うけど友達を誘ったこと。Aちゃん目当てにBくんを誘った現場にCちゃんDちゃんが居て、BくんがCちゃんDちゃんを応援していたのは大きな分岐だったかもしれない。あそこで仮にBくんがCちゃんに行ってなかったらmintの犬になっていたかどうか微妙だし、Dちゃんに行ってなかったらメイドカフェにも行っていなかったはずである(←)。Eくんを誘っていなければフリークの情報が入ってくることは無かっただろうし、今こんなに色んなグループや楽曲を知らなかったと思う。何より、2020年の思い出は2人がいてくれたことが僕にとってはとても大きかった。

 

(そして、誘ったこの2人の人生のルートを僕が分岐させてしまった気がするのはきっと気のせいだということにしておく)

(そしてそれ以外にも僕がルート分岐を引き起こしたヲタクが何人もいる気がする)

(・・・気のせいだということにしておく)


さて、1年という期間(彼女はそれプラス1年アイドルをしていたけど)でAちゃんはアイドルを一旦卒業した。と思ったら、なんとまあBくんの推しメンであるCちゃん(=なつかちゃん)のいる事務所に入ったわけである。2つのAちゃん大きな行動のルート分岐であり、それは僕にとっての必然のルート分岐であった。

 

まあ関係性が近かったとはいえ、お互い分岐はいくつもあったはずなのにこんな所で交わったのは正直まだ変な感じがする。

 

分岐先で交わるということ

ヲタクにも様々なルート分岐があって、アイドル側にも様々なルート分岐がある。でも、そのルート分岐を選ばなかったら、きっと今のアイドルには巡り会っていないはずである。別にこれはアイドルヲタクに限った話ではないと思うけど。

まだHKTだけを追っていた僕もいるかもしれない。違うグループにAちゃんが居たかもしれない。Aちゃんは今と同じルートを歩んでいても僕がそこに居なかったかもしれないし、僕が今と同じルートを歩んでいてもAちゃんがそこにいなかったかもしれない。僕とAちゃんに限らず、それぞれのヲタクとそれぞれのアイドルにルート分岐があって、それぞれの場所で分岐先が交わっていると思う。

 

交わった先で、今僕が見ているもの

そんなAちゃん、つまりみさきちゃんは6/22にまたアイドルとして、脳内パステルとしてデビューしようとしている。「脳内パステルでデビューする」という彼女の行動のルート分岐に僕が立ち会えるのは「たまたま」に「たまたま」が積み重なったから、ではあるんだけど、それはつまり僕が繰り返した行動のルート分岐と彼女が繰り返した行動のルート分岐とが交わったわけである。幸いなことに、交わった先に彼女の周りにいたメンバーのみんなは可愛くて、素敵な子達ばっかりだった。自分の行く先も操作できない人生で、推しメンが素敵な子達に囲まれる人生はとってもラッキーだと思う。

 

だから今、辿り着いたこの場所で「脳内パステルを応援する」という行動のルート分岐を僕は取ってみようと思う。

 

未来は過去の選択によって決まると思うけど、今という瞬間は口に出した時にはもう過去だから、つまりは今の選択一つ一つが彼女たちの未来を決めてると僕は思う。彼女たちとどんな景色が見れるのか、彼女たちがどんな風に進んでいくのかが僕は今からとても楽しみである。

 

僕にとっては“君”じゃなくて“君たち”なんだよな

先日、夜中。何を思ったか、僕はある曲のMVが見たくなった。人生でめちゃくちゃ聞いたけど、めちゃくちゃ聞いたが故に反動で近年あまり聞いていなかった曲である。

 

1! 2! 3! 4! 


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イントロでそうそう、これなんだよな・・・と思った時には、涙が出ていた。涙が出る曲ようなじゃないはずなのに。でも、僕がこの曲で泣くのはこれが初めてじゃない。

 

好きにならなきゃ 好きにならなきゃ 何も始まらない


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スキ!スキ!スキップ!という楽曲をご存知だろうか。

HKT48のデビューシングルである。

スキ!スキ!スキップ!/ HKT48 

 

何を隠そう、僕は長らくHKT48のヲタクであった。ちゃんと追いかけたグループなら一番期間は長いし、今も全く追っていないというわけではない。STU48がメインになった今も、やっぱりHKTは特別気になる。


月曜日の朝がやってきて 時計の針待ちきれず 家を出た



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リリースは2013年だから、もう8年になる。センターに立っていた田島芽瑠が当時中学1年生から2年生になるタイミング。当時の彼女は本当に「キラキラ」という言葉が似合う女の子だった。

 

満員電車で 誰かに押されながら 足を踏まれても 笑って許せる

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余談だが、田島芽瑠と僕は生年月日が9日しか変わらない。本当に余談。

 

人はみな恋をすると(ふわり) ハートまで軽くなって(魔法)


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兒玉遥で始まったHKTヲタク人生。当時(2013~2016)、僕は本村がメインでそこに+宮脇穴井植木朝長あたりのヲタクであった。かなりわかりやすい1期ヲタクである。

 

雲の上 歩き出す 夢の世界へ!


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2期が嫌いだったわけでも、3期に思い入れがなかった訳でもない。でもやっぱり1期への思い入れが当時から強かった。これは、今でも変わらない。

 

スキップしたくなる 両手を降って 君のこと思うだけで なんか無重力


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そんな感じで僕は、HKT48の事が大好きだった。コロコロコミックポケモンと野球しか無かった僕の人生を変えてくれたグループであることは間違いない。それがいい方向に行ったのか悪い方向に行ったのかは分からないけれど、当時も今も楽しいからいい方向だと思う。

 

どこでも行けそうな気がする 生きることって素晴らしい




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HKTが繋いだくれた縁がある。HKTだから繋がれた縁がある。僕が今こうなるには、あそこで好きになるグループHKTじゃなきゃダメだったと思う。

 

今日も行こうぜ! スキ!スキップ! 


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現場に沢山行ったわけじゃない。ライブは3回しか行ってない。大好きだったホータン劇場はおろか、そもそも未だに公演に入っていない。認知も貰ったわけじゃないし、最後にHKTメンバーのレーンに並んだのは2018年のGW。今や天下の宮脇咲良さんの写メ会だと思う。

 

もし君が他の男の子と 楽しげに話しててもしょうがない


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そんな僕にできることは、ライブ映像をひたすら見ることだった。DVDを借りたり、ヲタクに見せてもらったり、インターネットの海を泳いだり。色んなライブを見た。

 

ジェラシー感じるより そっと見て見ぬふり 君が君らしく 幸せそうなら



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穴井千尋が辞めるまでのコンサートは、見てない映像を探す方が大変だと思う。あんま意識した事ないけど。

 

街角のどこを見ても(眩しい) キラキラと輝いて(ダイヤ)




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「桜、みんなで食べた」が最新、あるいは未リリースの頃のライブ映像を特に多く見て育った僕にとって、いつだってどんなときもライブに入ってくるのはこの「スキ!スキ!スキップ!」、そして「メロンジュース」だった。今でも僕がHKTシングルで特に思い入れがあるのがこのツートップ。

 

そう愛が溢れてる 青空の下


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僕にとってのメロンジュースは、紅白歌合戦トップバッターの思い出が深い曲である。もちろん数多くのライブでやったという点ではスキップと変わらないんだけど、メロンジュースは歌番組のイメージ、紅白のイメージが強い。

 

スキップしたくなる それからジャンプ(ジャンプ)

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初めてテレビを見て泣いたのが紅白のHKTだったのもあるかもしれない。メロンジュースが歌番組だったからこそ、僕にとって「HKT48のライブ」といえば「スキ!スキ!スキップ!」だった。 

 

そう僕の気持ちだけが どんどん昇っていく


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初めて行ったライブのことは今でもよく覚えているんだけど、あの会場でスキ!スキ!スキップ!で泣いたのは僕だけだろう。

 

天まで届くようなテンション 片想いは傷つかない



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ちなみに残りの2回でもスキ!スキ!スキップ!で泣いている。変な人である。

 

明日も行くぜ! スキ!スキップ! 


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さて、先程1期ヲタクであるという話をした。とりわけ、僕の中で宮脇咲良というアイドルの比重は大きい。そんな彼女が、あと2週間でHKTを卒業する。正直、まだ受け止めきれていない。

 

君に会わなきゃ 君に会わなきゃ


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「大人列車」「希望的リフレイン」「12秒」あたりのHKTの宮脇咲良を象徴する曲、「波音のオルゴール」「今がイチバン」「希望の海流」あたりの大好きだけどマイナーな曲。色々やって欲しい曲はあるけど、やっぱりスキ!スキ!スキップ!はやって欲しい。

 

こんなワクワクした今日にならない



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僕の大好きな曲で、思い出の曲で、きっと1番見たアイドルがスキ!スキ!スキップ!のMVで、僕の青春はHKT48で、そのHKT48は、スキ!スキ!スキップ!の3分57秒に詰まっているから。


“君を好きになって、僕は変わった”


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思い出し笑い、、したいけど、きっと無理だろうな。絶対泣いちゃうもん。笑


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6/19まで、あと15日。2週間後の僕は、卒業コンサート前夜の僕は、何を思うのだろうか。その時の僕も、きっと文を書くと思う。その時の僕か、それまでの僕が文章を書いたら、またお会いしましょう。

コール禁止現場で、ヲタクが行き着く先

贔屓チームが逆転サヨナラで三連勝決めて本当に気分がいいいです、こんばんは。

 

さて早速内容に入りますが、あくまで個人の見解ですのでその辺はどうぞよろしく。

 

Tier1アイドルソングとは

カードゲーム業界などで「Tier1(てぃあわん)」という言葉が使われるのをご存知でしょうか。その環境で1番強い、覇権を取っているデッキタイプを「Tier1」、覇権を取っているほどではなくてもそこに対抗しうるデッキを「Tier2」、とデッキの強さを階層別に分けていくことによる環境分析です。

 

では、アイドル業界で「Tier1」にいる楽曲はなんだと思いますか?結構難しいですよね。

 

超有名どころのアイドルで言えば「言い訳Maybe」や「ガールズルール」、「大声ダイヤモンド」といった秋元系列グループの有名曲は地下地上問わず様々な場所でカバーされている印象があります。正直このレベルだとアイドルヲタクでなくても聞いたことがあったりするので、これをTire1とするのはどうかと思うくらい強い楽曲が集まっています。ですが、ここではあくまで「アイドル現場での認知度」を基準にランク付けしていこうと思います。

 

となると、外せない楽曲が3曲あると考えています。Buono!の「初恋サイダー」、FES☆TIVEの「OIDEMASE!!〜極楽〜」、ベイビーレイズJAPANの「夜明けBrand New Days」です。

 

初恋サイダー」はシンプルな楽曲の強さから多数の場所でカバーされ、一時期ほどフェスなどでは見なくなったものの、未だ一定の人気を誇る楽曲です。とんでもない沸き曲、という訳ではありませんがシンプルにめちゃくちゃいい曲なに加えソロでも歌える曲なので生誕のカバー等で見る機会が多い気がします。

 

余談。初恋サイダーを一時期ほど聞かなくなったのは、AKB48全盛期を小学生として過ごした世代がアイドルになっていることに要因があると思います。今22歳のアイドルですらヘビーローテーションを小6で迎えていることを考えると、今のアイドルの殆どはAKB48直撃世代です。初恋サイダーのリリース自体は2012年ですが、その頃に中高生くらいだった世代のアイドルが「初恋サイダー」を歌っていた枠がその頃に小学生だった世代のアイドルによる同年リリースの「永遠プレッシャー」に変わりつつあるような気がします。

 

とはいえ、まだまだTLでよく名前を見る楽曲ですし、シンプルに強いのでヲタクは1度履修しておいて損は無いと思います。というかBuono!聞きましょうヲタクの皆さん、ロッタラ ロッタラとかめちゃくちゃいいですよ。


夜明けBND」は、幅広いアイドルヲタクに家虎を浸透させたという点でアイドル史を語る上で外せないのかなと思いますし、Cheeky Paradeの「BUNBUN NINE9'」に続くコールが楽しい楽曲の走りなのかなとも思います。変則MIX自体は元々存在していた訳ですが、特にこの頃(2015-16頃)に高校生だったヲタク達は夜明けBNDで家虎を知ったヲタクはめちゃくちゃ多いと思います。恥ずかしながら筆者もそうなのですが。

 

ひとつのコールを広めたという観点では「47の素敵な街へ」も挙げられるのですが、あれはあまりにもteam8向きの楽曲過ぎて48G以外がカバーしてるのあんまり見ないのでここでは割愛。

 

OIDEMASE!!~極楽~」、これはもう説明不要だと思います。そして、僕はこの曲に代表される横移動が、これからのキーポイントになると思っています。

この楽曲は和風っぽいイントロと横移動という「OIDEMASE!!~極楽~」っぽい曲、という楽曲のポジションを確立したと言えるでしょう。「いやそれ、おいでませの二番煎じやん」みたいな楽曲はこの世に無限に存在するのですが、困ったことに大体全部楽しいです。困ります。


コロナウイルスによる環境の変化

カードゲームで環境が変化し「Tier1」からデッキが陥落する要因はカードの弱体化、制限、新パック…と様々ですが、2020年にアイドル業界の「環境」は激変しました。コロナウイルスによるコール禁止です。

 

コロナ手前のアイドル現場を振り返ると、非常に勢いを持っていたのが「shout」を引っさげ現れた真っ白なキャンバスでした。無論メンバーが可愛いというのもあるのですが、あまりの荒れ具合から離れたヲタクが出るほど騒げる現場、そして当時は特に先述の「shout」に代表されるように変則MIXで沸ける現場でした。元々勢いのあったコールである可変3連や混沌、虎火発動あたりがここまで流行ったのは間違いなく白キャンの影響ですし、最早可変3連に関してはあーずさ!あーずさ!までセットだという説もあります(ありません)。

 

さて、そのコールが無くなった今どんな楽曲が「強い」「沸ける」のでしょうか?


僕は振りコピ横移動だと思います。

以前のアイドルヲタクはコールをしに現場に行っていたと言っても過言ではありませんでした。そしてコールが失われたヲタクが行き着く先は「振りコピ」or「クラップ」、またはその両立だと感じています。「コールが楽しい曲」=「沸ける」時代から、「振りコピが楽しい曲」=「沸ける」時代に変化しつつあるのでは無いでしょうか。

 

そして横移動というコンテンツはコールが失われたアイドルのライブにおいて非常に楽しいコンテンツです。振りコピしてても楽しいですし、既にフリーク現場で「PON!PON!PONSHU!」が人気を博し始めているように次に人気が爆発する曲は横移動楽曲では無いかなと予想しています。これも典型的なおいでませ二番煎じ楽曲ですが、まあ楽しいんですよね…

 

「Tier2」で言うと、chula「史上最強うぇぽん」、まねきケチャの「きみわずらい」、夢みるアドレセンスの「メロンソーダ」、26時のマスカレイドハートサングラス」あたりでしょうか。どこかで1日対バン見てたらだいたいどっかしらのグループが「メロンソーダ」やってるのが見れる気がしますし、「きみわずらい」は一時期ほどではないにしても相変わらず生誕でのカバーが多い印象です。


ついでに:関西在住筆者のオススメ楽曲

 

PON!PON!PONSHU! / JYA☆PON

https://youtu.be/aGRyZPWua-g

 

→関西に住んでいるとわっくるの方が見る機会多いけど、どのみちめちゃくちゃ楽しいのに変わりはない


ぴゅあふるロード / すーぱープーばぁー!!

https://youtu.be/Mog4RrxMgoY

 

→個人的に今1番振りコピしてて楽しい曲。ぴゅあふるはもちろん、全体的に振りコピしてて楽しい楽曲が多い。毎度毎度ライブ終わったら汗だくになる。運動会。1回ライブ来てください(宣伝すな)。


アメハレヒーロー / すたんぴっ!

https://youtu.be/v7GhMvno5fw

→これも楽しい。サビが振りコピしやすいのも◎


こんなとこでしょうか。是非皆様も思い思いの横移動楽曲を教えて下さると幸いです。

 

特に後半2グループは大きめのフェスにこの夏出れたりすると一気に見つかるのでは?と思ったりします。同事務所のW.もかなり勢いがありますし、4月末デビューの脳内パステルさんも何とか上手く行ってくれるといいのですが・・・


偉そうに語りましたが、本格的に地下アイドル現場に行きだしたのもコロナからですし、行ってるライブの幅が狭い(似たような対バンしか行ってない)のでまだまだ知らない楽しい曲があると思うので、色々視野を広げていきたいなと思っております。

 

早くコールできる日が来ることを願って、今回はこの辺りで締めようと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

シン・エヴァンゲリオン振り返り

はじめに

シン・エヴァンゲリオン、皆さんご覧になられたでしょうか。

ガチガチ考察ではないですが、初日に2回見た僕の「ここはこういうことなのかなあ」というふわっとした考察と感想を書いて置こうと思います。
ネタバレ含むのでそのへんはご了承ください。

 

 

全体の感想として、僕はめちゃくちゃ満足しました。

 

1回目は情報量の多さに圧倒されて見たあと賢者タイムみたいになるエヴァ特有のふわふわした感覚に陥りましたが、流れを把握してから見る2回目は分からない部分もありつつもすごくまとまっていて綺麗で感動しました。


いくつか雑に良かったところを触れていこうかなと思います。

なお、以降は特に何の記述もない「綾波」は綾波レイとし、アヤナミレイ(仮称)は「黒波」と呼ぶことにします。

 

雑過ぎる振り返り

 

まず第3村のシーン、トウジ、ケンスケ、委員長との再会シーン。:Qで全く存在が描かれなかった人達だけに、無事に生活していたことに安心した人も多いのではないでしょうか。僕もそうです。


ヒカリの娘が「ツバメ」ちゃんだった由来は委員長の姉がコダマ、妹がノゾミちゃんであることを考えると九州新幹線・つばめから来ていると考えるのが妥当だと思います。シンカリオンで「つばめ」を操縦したのが「レイ」くんだったのも、もしかしたら関係あるのかなと思ってます。

 

時系列が飛びますがエンドロールでシンカリオンの名前が出て驚いたのは僕だけじゃないはずです。2回目めちゃくちゃ探したんですけど、おそらく黒波が女の子に絵本を貸してもらうシーンで本棚の後ろ・画面左端に貼ってあったポスターはシンカリオンのポスターだったと思います(要検証)。あとトトロのぬいぐるみが置いてあったような?


黒波が貸してもらった絵本の作者が庵野監督のお嫁さん、安野モヨコ氏だったのも非常に庵野作品らしい演出だなあと思いました。タイトルを忘れてしまったのですが、もしかしたらこれも安野モヨコ氏に関係があるタイトルだったのかもしれません。詳しい人教えてください。

 

そして「何でも屋」を名乗るケンスケが加地さんとミサトさんの息子に会わせるシーンがありましたが、ここ後からミサトさんに説明したところも含めとてもいいシーンでしたよね。びっくりが大きかった1周目より事を理解していた2周目の方が感動しました。

 

ここでケンスケは「先生」と呼ばれていました。エヴァで「先生」が登場するのは「冬月先生」とシンジが「先生」に預けられていたことくらいです。断片的にしか描かれないシンジの幼少期ですが、このことからループの中でシンジはケンスケによって第3村で育てられたのではという考察もあり、面白かったです。

 

これは「ってられない!」氏の考察動画を参照していただきたいのですが、この説に限らずこの人の動画には僕が大きな影響を受けています。どの動画も面白いです。

【シンエヴァ解体新書①】全作品のループ順序と分岐点が理解できないキミへ【エヴァンゲリオン考察】

 

トウジが「シンジはよう頑張ったで」みたいなこと言うシーンもめちゃくちゃ良かったですよね。ミドリのようにニアサーを起こしたシンジに対して好意的な印象を持たない人もいる中、最初の最初に「エヴァに乗ったこと」を否定してきた人物である鈴原トウジから「エヴァに乗ったこと」を褒められ、肯定されたのが個人的にすごくいいなと思いました。

 

シンジが少し褒められた、優しくされただけでこちら側も嬉しくなったのはやはり:Qでのシンジのあまりの不遇っぷりが影響していたと思います。あれがあったからこそ、「シン」のシンジが立ち直っていく過程は同時にシンジと同じく「訳わかんないですよ!いきなりこんなことになってて!」という気持ちだった私たちが立ち直っていく過程でもあったのかな、と思います。

 

「Q」と「シン」はそういう意味で対比になってると思うんですよね。Qで気持ちを落とされたからシンで立ち直ったシンジを見て自分たちも元気になった部分があると思います。「Q」への否定的な意見を逆に「シン」の良さに変え「Q」に意味を持たせた庵野監督は流石だなと思います。

 

さて、第3村パートはシンジの立ち直りパートであると同時に黒波の成長パートでもありました。序破の綾波(いわゆるポカ波)とは違うルートではあるものの「人間らしさ」を獲得していく黒波のことが映画が進むにつれて好きになっていったチョロい視聴者は私だけでは無いはずです。

 

だからこそ、「おやすみ おはよう ありがとう さよなら」の後シンジに気持ちを伝えLCL化する黒波を見てシンジ同様大きな喪失感を感じました。ここも、シンジに感情移入しやすくなるポイントだと思います。

 

シンジからするとレイに「さよなら」を言われるのは2度目です。ラミエル戦を前にレイに「さよなら」と言われ「そんな悲しいこと言うなよ・・・」と言っていたシンジですが、今回は「また会うためのおまじない」として前向きな「さよなら」をレイに言われるのが1回目と上手く対になっていて良かったです。

 

こんだけレイは触れといてアスカはスルーするんかいって感じですけど、後でまとめて触れようと思います。

 

とまあそんなこんなで(雑すぎる)立ち直ったシンジはアスカと共にブンダーに乗り込みます。ここで最後のケンスケのカメラが残り1時間30分とかだった気がするのですが、これはもしかして映画orこの世界(ループ)が終わるまでの時間なのかなあなどと思いながら見ていました。誰か音ならないストップウォッチ持ち込んで映画見て検証してほしい(他力本願)

 

この辺で加地さんがやりたかったことが生命の種の保存であったことが判明する訳ですが、元々リツコとかがヴンダーを「希望の船」みたいな言い方してるの見てノアの方舟的な捉え方なのかなあと思ってたんですけどその通りでしたね。想像以上にノアの方舟でしたけど。

 

ここよりあとのシーンって映像凄かったな〜って感じでアスカが覚醒するまでの所あんま書くことないんですよね(小声)
今度見た時になんか気づけばまた書きます。

 

とはいえここのアスカの左目に使徒がいるみたいな考察も元々みんな言ってた話でしたし、まあまあかっこいい覚醒の仕方したのにやられ方があまりに呆気なさすぎて可哀想だなとか思いながら見てました。ネブカドネザルの鍵で人を捨てていたゲンドウが13号機に乗り込む所までは完全に僕の予想通りだったのでそこは見てて気持ちよかったです。

 

で、この辺りで「マイナス宇宙」なる概念が登場し、もうたどり着けるのはオーバーラッピング対応の8号機だけだわ!みたいな流れからマリちゃんとシンジがマイナス宇宙に入っていくわけですが、ここの「行ってきます」「行ってらっしゃい」の会話めちゃくちゃ良かったですよね。破では何も言わずに出ていったシンジの口から「行ってきます」の言葉が出て、大人になったな シンジ(CV.立木文彦)になってました。

 

で、マイナス宇宙に突入しめちゃくちゃワープするゲンドウは「マイナス宇宙」と「ゴルゴダオブジェクト」の話を始めます。これ、そういうワードどっかで聞いたよなあと思いながら1回目を見て、そのまま2回目を見た時に「エースキラーとバラバがいたのゴルゴダ星じゃなかったっけ?」「あれも光速超えんと入れんとかじゃなかったっけ?」と思ってたんですけど、見終わって調べたら完全に設定が一致していたのでこの「マイナス宇宙」のヒントはウルトラマンAだと思います。(詳しくは「ゴルゴダ星」でググろう)

 

ゴルゴダオブジェクト内、シンジの記憶の中で戦うシーンは庵野監督の「特撮」という文化に対するリスペクトが随所に感じられました。照明が映らないようにするための上からのアングル、飛んでいくビルのミニチュア、不自然に広い道路。どれも、庵野監督が愛する「特撮」に見られる特徴でした。実相寺アングルに関してはシン・ウルトラマンでやると思ってるんですけど、エヴァでもやるとは・・・

 

セットが崩れるシーンで箱馬に東宝のマークがあったこと、途中(僕の見間違いでなければ)「No-8」の記載があったことを考えると円谷英二も数々の名作を産んだ映画の聖地、砧撮影所の映画専用第8ステージでしょうか。これは全然自信ないので詳しい人いたら教えてください。

 

途中今は亡き「怪獣倉庫」のようにエヴァのスーツが吊るされていたシーンもあり、思わずニヤけてしまいました。他にもゲームのコントローラーのような機材が登場したりしていましたが、あれも何か元ネタがあるのでしょうか。これもわかる人教えてください。

 

あとはラストのアスカに「好きだった」って伝えるシーンですけど、あれどのアスカなんですかねー。僕は旧劇のアスカかなあと思いながら見てました。でもそれだとケンスケのとこに飛ばされるのに繋がらないんで、式波タイプなんですかね・・・こればっかりは考察班を待つしかないかなと思ってます()

 

シンジではなくケンスケと結ばれたっぽい終わり方をしたアスカですが、「鈴原」とか「加地さん」とか基本的に苗字呼びな中で好意を持ったシンジだけ「○○シンジ」呼びだったことを考えると「ケンケン」呼びだったのは相当距離近かったんだろうなと思います。素っ裸でもお互いノータッチでしたし。

 

途中で「髪が伸びるのは人間である証でしょ」みたいな会話があった後に初号機に残ってたレイの髪がめちゃくちゃ伸びてたのめっちゃポイント高かったです。

 


ラストシーンの駅のシーンですけど、レイとカヲルがいて、多分アスカもいて、あと誰がいたのか分かりませんでした。カヲルといたレイとは別に制服のレイが居たようないなかったような・・・

 

最後が実写映像で終わるのは「エヴァンゲリオンがない世界」=「我々が生きてる世界」みたいな意味なのかなと僕は思ってます。

 

日本神話とキリスト教エヴァ

 

エヴァのストーリーって日本神話が由来だと僕は思ってるんですよね。イザナギがゲンドウ、イザナミがユイ、その2人の間の子供であるスサノオノミコトがシンジで、イザナギの左目から生まれた太陽神アマテラスがアスカ、右目から生まれた月の神ツクヨミがレイって考えると割と合うんですよね。アスカが眼帯してたのは左目ですし、逆に序あたりのレイが眼帯してたのが右目なのもそういうことなのかなと思ったり。

 

めちゃくちゃざっくり日本神話でイザナギが何をするかって言うと死んで黄泉の国に行ってしまったお嫁さんのイザナミを追いかけて自分も黄泉の国まで行くんですよね、死んでもなおユイに会いたかったゲンドウと似ているなあと思うわけです。まあ日本神話は詳しくないのでまだまだ勉強不足ですが・・・

 

そしてエヴァのテーマとしてもう1個よく挙がるのが聖書ですよね。

 

今回のゴルゴダオブジェクトの「ゴルゴダ」はイエス・キリストが処刑された地ですし、他にも関連ワードがよく出てくるわけですが、今作では冬月先生がマリちゃんのことをイスカリオテのマリア」と呼んでいました。

 

「マリア」と言えばイエス・キリストの母聖母マリアかなあと最初は思ったんですけど、これ多分マグダラのマリアの方ですよね。マグダラのマリアはイエスゴルゴダの丘で十字架にかけられる瞬間と復活の瞬間を見届けた人物で(ここは色々解釈の仕方があるみたいですけど説明は割愛)、かつ「亜使徒」=使徒に近しい存在として扱われてるんですよね。イエスを今作のシンジに当てはめるとめちゃくちゃマリちゃんだと思いませんか?

 

イスカリオテ」の部分は、「イスカリオテのユダ」から来てると思います。ユダと言えばイエスを裏切った人物なので、マリちゃんも誰かを裏切ったということでしょうか?おそらくゲンドウと近しい関係(同級生?)にあったにも関わらずゲンドウ=ゼーレを裏切ったことが由来なのか、それとも他になにかあるのか・・・

 

マリちゃんは「○番目の少女」という言い方はされていませんし、「運命を仕組まれた子供たち」ではないはずです。とはいえエヴァには乗れるし、裏コードまで知ってるし、Qで幼いシンジをユイたちが囲んだ写真にもマリがいますし、その頃から見た目が変わっていないのは「エヴァの呪縛」ではなく、そもそも人ではなかったのかなとも思ったりします。最後「もうリリン達に使われることもない、ゆっくり眠りな タブリスの器たち(うろ覚え)」みたいなこと言ってましたし。


飛び級で京大入ってたりシンでめちゃくちゃ本読んでたりするのを見ると知恵の実を食べた存在がマリなのかなとも思ったりもします。

 

あとマリちゃんが他の人を呼ぶ時、アスカが「姫」でシンジが「ワンコくん」なのどういうことだってばよと思ってたんですけど、「ワンコ」って「王(ワン)子(コ)」くん=アスカの王子様ってことなんですかね。アスカがいない所ではしっかり「碇シンジくん」って呼ぶのもめちゃくちゃ好きです。中身めちゃくちゃババアでも僕はマリちゃんが好きです←

 

 

おわりに

 

さて、僕の無い脳みそと無い知識と無い教養ではこのぐらいの考察が限界でした。多分どっかの誰かが言ってるようなことしか書いてないと思います。

 

僕にとってエヴァという作品の出会いは紛れもなく父でした。「序」の時に映画館に連れていかれてエヴァにめちゃくちゃハマり、小学生ながらなんとか理解して「破」も「Q」も、そしていつしかシンジの年齢を追い抜き、大学生になって迎えた「シン」も公開初日に2人で見に行きました。僕が生まれる前から26年続いた作品の終わりを父と迎えられたこと、なかなか感慨深いものがありました。素晴らしい作品に出会わせてくれた父に感謝して締めたいと思います。

 

まとまりのない拙い文章だったとは思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。