君が描く未来予想図に僕が居なくても。

君といるだけで I'm so satisfied.

若さとは不器用でやり残すもの

 

10年、という月日は長いようで短くて、短いようで長い。でも、鹿児島の13歳の女の子が、世界に羽ばたく23歳になる10年がとっても濃かったのは間違いないと思う。6月19日、マリンメッセの幕が閉じて、宮脇咲良から、HKT48の肩書きが消えた。

 

ちょっとまだ落ち着いて考えられないから、セットリストがどう、という話は今はしない。明日の新幹線でゆっくり書こうと思っているから、そのうち上がる暇な人が書いた文章を暇な人は暇な時に読んでくれよな。

 

それでもどうしても今日消化したい話があって、まあお察しの通り兒玉遥歌い出しの大人列車である。


動き出した車輪 君が乗っているのに…


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僕が好きになった時のHKTは、この2人が真ん中にいた。僕が好きだった時のHKTは、この2人がセンターにいた。僕がHKTから遠のいたとき、この2人はHKTにいなかった。

 

僕は自分自身「穴井千尋が抜けたから」or「兒玉遥が抜けたから」HKTを見なくなったのだと自己解釈していたけど、そういう訳ではなかったんだな、と今日気づいた。「兒玉遥が抜けたから」じゃなくて、「兒玉宮脇が崩れたから」だったんだと思う。

 

2人が抜けてもHKTが好きだという綺麗事を、本当は僕だって書きたい。実際、HKTを嫌いになった訳じゃない。とっても素敵なグループだと改めて感じた。

 


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でも、僕のヲタク人生第一章は確実に今日幕を閉じた。僕の好きになったHKTは宮脇兒玉指原だから。幕を降ろす人物は宮脇咲良だと思っていたけど、本当は兒玉遥卒業で降りるはずだった幕を宮脇咲良という存在が押し返していたんだと気づいた。兒玉遥からHKT48の肩書きが消えた時、確実に車輪は動き出したのに、僕は間に合わなかった。まさかあんなに急だなんて、知らなかったから。当然の引っ越しを聞かされて、立ち尽くしかなかったから。

 

“さよなら”を言えば 自分の気持ち

・・・をちゃんと整理出来ていたのか、当時の僕は分からなかったけど、今日やっと出来たと思う。穴井千尋さんが出てこなかったのは寂しかったけど、あの人はとっても素敵な卒業コンサートと卒業公演があったから、その現場にいた訳じゃないけれど、“さよなら”を心の中で言えたんだと思う。


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兒玉遥さんにはそれがなかったのが、僕はとても辛かったし、きっとずっと引きずっていたんだな、というのを今日感じた。

 

 

今しか出来ないこと

コロナが無かったら、もっと大きなステージだったかもしれない。コロナが無かったら、もっとゲストが豪華だったかもしれない。コロナが無かったら、宮脇咲良ラストツアーを行っていたかもしれない。これは、今だから出来ないこと。

 

当たった人間、現場にいた人間だから言えるのかもしれないけれど、このタイミングでの卒コンはとてもちょうど良かったと思う。あのステージで指原と踊るのは指原にとっても悔いを晴らす場であり、宮脇兒玉矢吹が揃ってステージに立つのが宮脇なりの指原への感謝の気持ちだろう。余談だが、宮脇兒玉矢吹が指原の卒コンに出れなかった話をする度に後ろのお姉さんが号泣していた。卒コンのこのタイミングはやっぱり“今しか出来ないこと”。

 

何より、兒玉遥である。本人もそう言っていて(それを聞いて僕は号泣していたが)やはり本人もあの終わり方は相当悔しかっただろうし、本意ではなかったはずでる。それを宮脇がくみ取って卒コンに呼んでくれたこと、兒玉が来てくれたことが僕は本当に嬉しかった。

 

正直、兒玉遥が来たとして披露するなら「君と僕の関係」だと思っていた。痩せたとはいえステージ離れが続いているし、体力のこともあるから最悪踊らなくても何とかなる曲、となると「君と僕の関係」が“さくはる”っぽいなあと思っていたわけである。

 

少し“さくはる”の話をすると、両者がお互いを良きライバルと認めあっている“なこみく”や、片方が片方を慕っていた“じゅりれな”とは少し違うと思う。

 

お互いが違う方向に進むことでよりペアとしての力を高めたケースはやはり“さやみるきー”であろう。でも、それもなんだか“さくはる”とは違う気がする。“さくはる”は片方がどうだからどうなる訳でも、はっきり書くけどめちゃくちゃ仲良いわけでも、片方が片方のことを考える訳でもなく、「本当にしんどい時に相手が背中を押してくれる」のが“さくはる”で、でもお互い背中を押しているつもりはない、という不思議な関係性なんじゃないかなあと思う。ダブルセンターであったり、シンメであったりすることが多かった“さくはる”だけど、不思議と背中合わせの振りが多かった気がするのは気のせいだろうか。お互いが言葉じゃなく、見つめ合うわけでもなく、ただお互いの背中でお互いを理解する感じが、そしてお互いを助け合う感じが、なんとも“さくはる”らしくて好きだった。

 

そんな2人の、“さくはる”のラストに選んだ曲が「大人列車」だというのも、自分の卒業コンサートを使って あの瞬間だけでも開催が叶わなかった兒玉遥卒業コンサート(+そのステージの兒玉遥の横に宮脇咲良がいること)をやってのけたのも、それがソロでも2人曲でなく全員曲なのも、全部が「HKTのために」アイドルをしていた宮脇咲良らしくて、そして何も言わずに助け合う“さくはる”らしくて、僕は嬉しかった。

 


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デビュー曲もデビューシングルもセンターを後輩に取られた1期のエースコンビなんて、後先見ても“さくはる”だけだろう。10年前のスタートラインから文字通り苦楽を共にした2人の終わりはセットで終わって欲しかった。それが叶うには3年近くブランクが空いたけど、この3年があったからこそより一層今日の大人列車は響いたし、胸を打たれた。“今しか出来ないこと”だったと思う。

 


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田島さんが辞める時は“めるみお”を揃えて欲しいな。それはそれでめちゃくちゃ泣く気がするけど。

 

もどかしいだけの青春

僕の青春はHKT48だったし、さくはるだった。当時は在宅しか出来なくて、それこそ本当にもどかしいばかりの毎日だったけど、それでも楽しくて、そしてあの在宅時代も相まって今日がめちゃくちゃ楽しかったし、今日でひと段落というか、スッキリできたんだと思う。


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HKT48、ありがとう。楽しかった。

宮脇咲良ちゃん、ありがとう。10年間お疲れ様。

兒玉遥ちゃん、やっぱり大好きだった。お疲れ様。

 

またHKT48ヲタク第2章が始まったらお会いしましょう。