君が描く未来予想図に僕が居なくても。

君といるだけで I'm so satisfied.

シン・エヴァンゲリオン振り返り

はじめに

シン・エヴァンゲリオン、皆さんご覧になられたでしょうか。

ガチガチ考察ではないですが、初日に2回見た僕の「ここはこういうことなのかなあ」というふわっとした考察と感想を書いて置こうと思います。
ネタバレ含むのでそのへんはご了承ください。

 

 

全体の感想として、僕はめちゃくちゃ満足しました。

 

1回目は情報量の多さに圧倒されて見たあと賢者タイムみたいになるエヴァ特有のふわふわした感覚に陥りましたが、流れを把握してから見る2回目は分からない部分もありつつもすごくまとまっていて綺麗で感動しました。


いくつか雑に良かったところを触れていこうかなと思います。

なお、以降は特に何の記述もない「綾波」は綾波レイとし、アヤナミレイ(仮称)は「黒波」と呼ぶことにします。

 

雑過ぎる振り返り

 

まず第3村のシーン、トウジ、ケンスケ、委員長との再会シーン。:Qで全く存在が描かれなかった人達だけに、無事に生活していたことに安心した人も多いのではないでしょうか。僕もそうです。


ヒカリの娘が「ツバメ」ちゃんだった由来は委員長の姉がコダマ、妹がノゾミちゃんであることを考えると九州新幹線・つばめから来ていると考えるのが妥当だと思います。シンカリオンで「つばめ」を操縦したのが「レイ」くんだったのも、もしかしたら関係あるのかなと思ってます。

 

時系列が飛びますがエンドロールでシンカリオンの名前が出て驚いたのは僕だけじゃないはずです。2回目めちゃくちゃ探したんですけど、おそらく黒波が女の子に絵本を貸してもらうシーンで本棚の後ろ・画面左端に貼ってあったポスターはシンカリオンのポスターだったと思います(要検証)。あとトトロのぬいぐるみが置いてあったような?


黒波が貸してもらった絵本の作者が庵野監督のお嫁さん、安野モヨコ氏だったのも非常に庵野作品らしい演出だなあと思いました。タイトルを忘れてしまったのですが、もしかしたらこれも安野モヨコ氏に関係があるタイトルだったのかもしれません。詳しい人教えてください。

 

そして「何でも屋」を名乗るケンスケが加地さんとミサトさんの息子に会わせるシーンがありましたが、ここ後からミサトさんに説明したところも含めとてもいいシーンでしたよね。びっくりが大きかった1周目より事を理解していた2周目の方が感動しました。

 

ここでケンスケは「先生」と呼ばれていました。エヴァで「先生」が登場するのは「冬月先生」とシンジが「先生」に預けられていたことくらいです。断片的にしか描かれないシンジの幼少期ですが、このことからループの中でシンジはケンスケによって第3村で育てられたのではという考察もあり、面白かったです。

 

これは「ってられない!」氏の考察動画を参照していただきたいのですが、この説に限らずこの人の動画には僕が大きな影響を受けています。どの動画も面白いです。

【シンエヴァ解体新書①】全作品のループ順序と分岐点が理解できないキミへ【エヴァンゲリオン考察】

 

トウジが「シンジはよう頑張ったで」みたいなこと言うシーンもめちゃくちゃ良かったですよね。ミドリのようにニアサーを起こしたシンジに対して好意的な印象を持たない人もいる中、最初の最初に「エヴァに乗ったこと」を否定してきた人物である鈴原トウジから「エヴァに乗ったこと」を褒められ、肯定されたのが個人的にすごくいいなと思いました。

 

シンジが少し褒められた、優しくされただけでこちら側も嬉しくなったのはやはり:Qでのシンジのあまりの不遇っぷりが影響していたと思います。あれがあったからこそ、「シン」のシンジが立ち直っていく過程は同時にシンジと同じく「訳わかんないですよ!いきなりこんなことになってて!」という気持ちだった私たちが立ち直っていく過程でもあったのかな、と思います。

 

「Q」と「シン」はそういう意味で対比になってると思うんですよね。Qで気持ちを落とされたからシンで立ち直ったシンジを見て自分たちも元気になった部分があると思います。「Q」への否定的な意見を逆に「シン」の良さに変え「Q」に意味を持たせた庵野監督は流石だなと思います。

 

さて、第3村パートはシンジの立ち直りパートであると同時に黒波の成長パートでもありました。序破の綾波(いわゆるポカ波)とは違うルートではあるものの「人間らしさ」を獲得していく黒波のことが映画が進むにつれて好きになっていったチョロい視聴者は私だけでは無いはずです。

 

だからこそ、「おやすみ おはよう ありがとう さよなら」の後シンジに気持ちを伝えLCL化する黒波を見てシンジ同様大きな喪失感を感じました。ここも、シンジに感情移入しやすくなるポイントだと思います。

 

シンジからするとレイに「さよなら」を言われるのは2度目です。ラミエル戦を前にレイに「さよなら」と言われ「そんな悲しいこと言うなよ・・・」と言っていたシンジですが、今回は「また会うためのおまじない」として前向きな「さよなら」をレイに言われるのが1回目と上手く対になっていて良かったです。

 

こんだけレイは触れといてアスカはスルーするんかいって感じですけど、後でまとめて触れようと思います。

 

とまあそんなこんなで(雑すぎる)立ち直ったシンジはアスカと共にブンダーに乗り込みます。ここで最後のケンスケのカメラが残り1時間30分とかだった気がするのですが、これはもしかして映画orこの世界(ループ)が終わるまでの時間なのかなあなどと思いながら見ていました。誰か音ならないストップウォッチ持ち込んで映画見て検証してほしい(他力本願)

 

この辺で加地さんがやりたかったことが生命の種の保存であったことが判明する訳ですが、元々リツコとかがヴンダーを「希望の船」みたいな言い方してるの見てノアの方舟的な捉え方なのかなあと思ってたんですけどその通りでしたね。想像以上にノアの方舟でしたけど。

 

ここよりあとのシーンって映像凄かったな〜って感じでアスカが覚醒するまでの所あんま書くことないんですよね(小声)
今度見た時になんか気づけばまた書きます。

 

とはいえここのアスカの左目に使徒がいるみたいな考察も元々みんな言ってた話でしたし、まあまあかっこいい覚醒の仕方したのにやられ方があまりに呆気なさすぎて可哀想だなとか思いながら見てました。ネブカドネザルの鍵で人を捨てていたゲンドウが13号機に乗り込む所までは完全に僕の予想通りだったのでそこは見てて気持ちよかったです。

 

で、この辺りで「マイナス宇宙」なる概念が登場し、もうたどり着けるのはオーバーラッピング対応の8号機だけだわ!みたいな流れからマリちゃんとシンジがマイナス宇宙に入っていくわけですが、ここの「行ってきます」「行ってらっしゃい」の会話めちゃくちゃ良かったですよね。破では何も言わずに出ていったシンジの口から「行ってきます」の言葉が出て、大人になったな シンジ(CV.立木文彦)になってました。

 

で、マイナス宇宙に突入しめちゃくちゃワープするゲンドウは「マイナス宇宙」と「ゴルゴダオブジェクト」の話を始めます。これ、そういうワードどっかで聞いたよなあと思いながら1回目を見て、そのまま2回目を見た時に「エースキラーとバラバがいたのゴルゴダ星じゃなかったっけ?」「あれも光速超えんと入れんとかじゃなかったっけ?」と思ってたんですけど、見終わって調べたら完全に設定が一致していたのでこの「マイナス宇宙」のヒントはウルトラマンAだと思います。(詳しくは「ゴルゴダ星」でググろう)

 

ゴルゴダオブジェクト内、シンジの記憶の中で戦うシーンは庵野監督の「特撮」という文化に対するリスペクトが随所に感じられました。照明が映らないようにするための上からのアングル、飛んでいくビルのミニチュア、不自然に広い道路。どれも、庵野監督が愛する「特撮」に見られる特徴でした。実相寺アングルに関してはシン・ウルトラマンでやると思ってるんですけど、エヴァでもやるとは・・・

 

セットが崩れるシーンで箱馬に東宝のマークがあったこと、途中(僕の見間違いでなければ)「No-8」の記載があったことを考えると円谷英二も数々の名作を産んだ映画の聖地、砧撮影所の映画専用第8ステージでしょうか。これは全然自信ないので詳しい人いたら教えてください。

 

途中今は亡き「怪獣倉庫」のようにエヴァのスーツが吊るされていたシーンもあり、思わずニヤけてしまいました。他にもゲームのコントローラーのような機材が登場したりしていましたが、あれも何か元ネタがあるのでしょうか。これもわかる人教えてください。

 

あとはラストのアスカに「好きだった」って伝えるシーンですけど、あれどのアスカなんですかねー。僕は旧劇のアスカかなあと思いながら見てました。でもそれだとケンスケのとこに飛ばされるのに繋がらないんで、式波タイプなんですかね・・・こればっかりは考察班を待つしかないかなと思ってます()

 

シンジではなくケンスケと結ばれたっぽい終わり方をしたアスカですが、「鈴原」とか「加地さん」とか基本的に苗字呼びな中で好意を持ったシンジだけ「○○シンジ」呼びだったことを考えると「ケンケン」呼びだったのは相当距離近かったんだろうなと思います。素っ裸でもお互いノータッチでしたし。

 

途中で「髪が伸びるのは人間である証でしょ」みたいな会話があった後に初号機に残ってたレイの髪がめちゃくちゃ伸びてたのめっちゃポイント高かったです。

 


ラストシーンの駅のシーンですけど、レイとカヲルがいて、多分アスカもいて、あと誰がいたのか分かりませんでした。カヲルといたレイとは別に制服のレイが居たようないなかったような・・・

 

最後が実写映像で終わるのは「エヴァンゲリオンがない世界」=「我々が生きてる世界」みたいな意味なのかなと僕は思ってます。

 

日本神話とキリスト教エヴァ

 

エヴァのストーリーって日本神話が由来だと僕は思ってるんですよね。イザナギがゲンドウ、イザナミがユイ、その2人の間の子供であるスサノオノミコトがシンジで、イザナギの左目から生まれた太陽神アマテラスがアスカ、右目から生まれた月の神ツクヨミがレイって考えると割と合うんですよね。アスカが眼帯してたのは左目ですし、逆に序あたりのレイが眼帯してたのが右目なのもそういうことなのかなと思ったり。

 

めちゃくちゃざっくり日本神話でイザナギが何をするかって言うと死んで黄泉の国に行ってしまったお嫁さんのイザナミを追いかけて自分も黄泉の国まで行くんですよね、死んでもなおユイに会いたかったゲンドウと似ているなあと思うわけです。まあ日本神話は詳しくないのでまだまだ勉強不足ですが・・・

 

そしてエヴァのテーマとしてもう1個よく挙がるのが聖書ですよね。

 

今回のゴルゴダオブジェクトの「ゴルゴダ」はイエス・キリストが処刑された地ですし、他にも関連ワードがよく出てくるわけですが、今作では冬月先生がマリちゃんのことをイスカリオテのマリア」と呼んでいました。

 

「マリア」と言えばイエス・キリストの母聖母マリアかなあと最初は思ったんですけど、これ多分マグダラのマリアの方ですよね。マグダラのマリアはイエスゴルゴダの丘で十字架にかけられる瞬間と復活の瞬間を見届けた人物で(ここは色々解釈の仕方があるみたいですけど説明は割愛)、かつ「亜使徒」=使徒に近しい存在として扱われてるんですよね。イエスを今作のシンジに当てはめるとめちゃくちゃマリちゃんだと思いませんか?

 

イスカリオテ」の部分は、「イスカリオテのユダ」から来てると思います。ユダと言えばイエスを裏切った人物なので、マリちゃんも誰かを裏切ったということでしょうか?おそらくゲンドウと近しい関係(同級生?)にあったにも関わらずゲンドウ=ゼーレを裏切ったことが由来なのか、それとも他になにかあるのか・・・

 

マリちゃんは「○番目の少女」という言い方はされていませんし、「運命を仕組まれた子供たち」ではないはずです。とはいえエヴァには乗れるし、裏コードまで知ってるし、Qで幼いシンジをユイたちが囲んだ写真にもマリがいますし、その頃から見た目が変わっていないのは「エヴァの呪縛」ではなく、そもそも人ではなかったのかなとも思ったりします。最後「もうリリン達に使われることもない、ゆっくり眠りな タブリスの器たち(うろ覚え)」みたいなこと言ってましたし。


飛び級で京大入ってたりシンでめちゃくちゃ本読んでたりするのを見ると知恵の実を食べた存在がマリなのかなとも思ったりもします。

 

あとマリちゃんが他の人を呼ぶ時、アスカが「姫」でシンジが「ワンコくん」なのどういうことだってばよと思ってたんですけど、「ワンコ」って「王(ワン)子(コ)」くん=アスカの王子様ってことなんですかね。アスカがいない所ではしっかり「碇シンジくん」って呼ぶのもめちゃくちゃ好きです。中身めちゃくちゃババアでも僕はマリちゃんが好きです←

 

 

おわりに

 

さて、僕の無い脳みそと無い知識と無い教養ではこのぐらいの考察が限界でした。多分どっかの誰かが言ってるようなことしか書いてないと思います。

 

僕にとってエヴァという作品の出会いは紛れもなく父でした。「序」の時に映画館に連れていかれてエヴァにめちゃくちゃハマり、小学生ながらなんとか理解して「破」も「Q」も、そしていつしかシンジの年齢を追い抜き、大学生になって迎えた「シン」も公開初日に2人で見に行きました。僕が生まれる前から26年続いた作品の終わりを父と迎えられたこと、なかなか感慨深いものがありました。素晴らしい作品に出会わせてくれた父に感謝して締めたいと思います。

 

まとまりのない拙い文章だったとは思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。