アイドルヲタクの備忘録

君といるだけで I'm so satisfied.

音楽と思い出と記憶の蓋

サブスクリプション方式とはビジネスモデルの1つ。商品ごとに購入金額を支払うのではなく一定期間の利用権として料金を支払う方式。契約期間中は定められた商品を自由に利用できるが期間がすぎれば利用できなくなるのが一般的である。コンピュータのソフトウェアの利用形態として採用されることも多い。「サブスク」とも略される。 (Wikipediaより引用)

 

 

便利な時代だと思う。

形が残らないものに対してお金を払う行為に抵抗がある人の気持ちも分かるんだけど、大体の音楽サービスは月600円前後で膨大な曲数が聞ける。CD1枚は安くても1000円程度が相場だろうし、「音楽を聴く」という点で損することはあまりないと思う。

「中学の頃流行ってたあの曲、久しぶりに聞きたいな」となった時、YouTubeを開いてどこの誰があげたのかも分からない映像を見なくても、公式に配信されている音源が聞けるというのは素敵なことである。

 

とはいえ、1999年生まれの僕はまだまだ小中の頃にCDを聞いていた世代である。家の古びたCDプレイヤー(そもそもボロかったのに僕が使い古して御役御免となった)でポケモンのOPやウルトラマンのOPを聞いて育ったし、小学校6年生の時にお年玉でポケモン鋼の錬金術師のサントラを買ったし、中1に上がったタイミングでウォークマンを購入してCDから取り込んで音楽を聞いていた。特に僕の場合は両親が音楽好きでCDに囲まれて育った(本当に文字通りCDに囲まれて育ったのは、僕の家に来たことがある人には理解して頂けるはずである)人間である僕にはCDというのはとても身近な存在であった。

 

だからサブスクリプション全盛期においても僕はCDを買う。好きなバンド(と、アイドル)しか買っていないからそこまでの量ではないけど、まあ世の大学生の平均よりは買っている方では無いだろうか。買ってる人はもっと買ってると思うけど。

 

さて先程も書いた通りサブスクの長所は「聴きたい曲がピンポイントで聞けること」である。ゆずの夏色を聞きたいなと思ったら夏色が聞けるし、ワンオクの完全感覚Dreamerが聞きたいなと思ったら完全感覚Dreamerが聞ける訳である。

 

ただ、これは僕は短所でもあると思っている。ピンポイントで聞けてしまう状況は「曲を聞く人」は増えても「アルバムを聴く人」を減らすと僕は思う。

 

アルバムは曲の寄せ集めではなく、作品である。楽曲の順番にも製作者の意図がある。AKB48系列のグループにおけるクラシカルな劇場公演のセットリストに「流れ」が確実に存在するように、「そのアルバムの流れ」がある。

 

音楽というものに向き合うということは本当に面白い。中学の頃、数少ない知っている曲だった完全感覚Dreamerのために借りたONE OK ROCKのアルバムは『Nicheシンドローム』だった。当時も頭から最後まで何度も通して聞いていたけど、当時このアルバムで出会った曲では「じぶんROCK」が特に好きだった。

 

それが大学生になって久しぶりにアルバムとして頭から聞いてみて以来、このアルバムのラストナンバーである「Nobody's home」ばかり聞いている。年齢を重ねることで、好きな曲、刺さる歌詞が変わるんだと実感した瞬間だった。

でも、昔から変わらず今も大好きな曲も勿論ある。

ONE OK ROCKなら「キミシダイ列車」がそうだし、BUMP OF CHICKENならば「スノースマイル」がそうだ。歳を重ねてより歌詞を好きになることもある。

バンドとかアイドルとか関係なく、改めて元々好きなアーティストの楽曲と向き合うことで、自分の中での大切な曲に出会えると思う。改めて聞いてみてもやっぱりこれだよな、ってなる曲があったり、これこんなにいい曲だったんだな、ってなる曲があったりすると思う。

 

人として人生を積み重ねていく過程で、楽しいこともしんどいことも、綺麗なものも汚いものも、色んな世界を見ると思う。そして、色んな世界を見るということは、色んな歌詞に共感出来るようになるということだと思う。その事を世間では「大人になる」と呼ぶのかもしれない。

 

 

さて、「ポケットにファンタジー」という楽曲をご存知だろうか。国民的アニメ・ポケットモンスターの初期のED曲だが、僕はこれをリアルタイムでは知らない。曲は知っていたけど。

知らない人も知ってる人も1回聞いて欲しい。

一部歌詞を抜粋する。


「はやくおとなになりたいんだ」
「え?どうして?」
「はやくおとなになりたいの」
「子供って楽しいじゃなーい」

 

「もう一度子供に戻ってみたい」
「えー、なんで?」
「もう一度子供に戻ってみたいの」
「おとなでいいのに」
「1日だけでも なれないかな?」
「なれっこないよ」

 

小学校の僕は「はやくおとなになりたい」と思っていたし、「もう一度子供に戻ってみたい」という歌詞に対して、「おとなでいいのに」と思っていたし、「なれっこないよ」と思っていた。なんならなんやねんこの曲と思ってあまり聞いていなかった。

 

大学生になってから聞いたら、本当にめちゃくちゃに刺さった。

 

6時間目が終わって、下校班が集まるまでの時間で遊びの約束をして、家に帰って、友達の家に電話して、家に行って、ほんとにベイがボロボロになるまでベイブレードで遊んで、スーパーレア詰め込めば強いと思っていたデッキで闘って、シンオウ地方の地下通路を冒険していた日々。僕は門限が17時半だったから、律儀に17時になったら友達にバイバイまた明日、なんて言って家を出ていた。そんな日々はもうどこにも無い。自由な時間があっても、当時よりもお金を持っていても、身長が伸びても、あの時間は帰って来ない。「もう一度子供に戻ってみたい」という歌詞が切に刺さるような年齢に、気づけば僕はなっていた。捉え方が真逆になった。音が変わったわけでも、歌う人が変わったわけでも、歌詞が変わった訳でもないのに、「ポケットにファンタジー」はまるで別の曲かのような印象を受けた。

 

 

僕は今、ハンブレッダーズというバンドが好きだ。「見開きページ」「DAY DREAM BEAT」「逃飛行」なんかを毎日毎日音漏れするかしないかの瀬戸際の音量で聞いて、ドラムも叩けないくせにビートを刻んでいる。「好き嫌いの次元じゃ無くなったミュージック」はまさに僕にとってのハンブレッダーズで、高3から今に至るまでずっと僕の耳に、脳内に、鳴り続けている。

 

5年後の僕は、10年後の僕は、20年後の僕は、ハンブレッダーズを聞き何を思うのだろうか。ムツムロアキラの歌声を毎日聞く日々がいつか過去になり、「懐かしい〜学生の頃よく聞いてたな〜」と「過去の思い出」となるのだろうか。それとも、これからも僕の人生と共に彼らの音楽も更新され続けていくのだろうか。大学生で忌野清志郎に出会った僕の父が、自分の息子の年齢が彼に出会った頃の自分に追いついた今も2人で京セラドームに向かう車内で故人となったキング・オブ・ロックの歌声を再生するように、僕もいつか息子の前で、息子と京セラドームに向かいながら、ムツムロアキラの歌声を聞くんだろうか。

 

人との出会いには別れがあるけれど、音楽との出会いに別れはないと思う。忌野清志郎はもういないけど、雨上がりの夜空の中でRCサクセションを聞くことも、多摩蘭坂忌野清志郎の歌声を再生することも可能である。スマートフォンさえ持てば「歌詞」も「音楽」もそこにある時代だから。

 

小学生の時にめちゃくちゃやったゲームを久しぶりに開くと、BGMで一気に当時が蘇る感覚は何度味わっても「こんなのよく覚えてるな」と思う。またポケモンの話になるけど、ダイヤモンド・パールを小学校1年生でプレイした僕はワカバタウンのBGMを聞くと本当に実家に帰ってきたような感覚に陥って、201番どうろのBGMを聞くと旅に出たあの日を思い出す。あの時シンオウ地方を旅したあの主人公が、僕そのものだったからだ。

 

音楽というのは自分が思っているよりも記憶にこびりついていて、「今」と「思い出」をリンクさせてくれるものだと思う。

 

だからこそ、僕は「アルバムで聴く」ことを推奨したいし、CDを買うことを勧めたいし、音楽っていいよな、と言いたい訳である。色んな曲を聞くことで、CDを買うことで、色んな思い出を脳に残しておける気がするし、これ買った時はこんなことしてたな、なんて思い出して自分の記憶の蓋を開けるための鍵になると思う。どんなに大切な思い出でも、自分の意志と反して記憶の蓋というものは閉じていくものだから、その蓋を開ける鍵なんていくつあっても困らない。

 

元々アルバムを聞いていた人は、昔聞いてたアルバムを覚えている曲・好きな曲だけ聞くのではなく、改めて1曲目から順番通りに聞き直してみるという行為はとてもいい時間で、満足度の高い時間だから試してみて欲しい。

 

サブスクが流行する今の時代で流行に乗ることも、乗らずにCDを聞くことも、あるいはレコードを買うことも、いつかそれぞれの人にとっての記憶の蓋を開ける鍵になると思うし、そうして聴いた曲もきっと鍵になる、と思う。


そして、僕が音楽やライブを好きなのも「記憶と楽曲」が結びつきやすいからなんだと思う。先日4~5年振りに生で聴いたファンタスティックパレードのイントロは脳で理解する前に体が動いたし、いつか脳内パステル大宣戦や恋愛ダッシュのイントロがそうなるのかもしれない。半年前に幕を閉じたあのグループの「記憶の蓋」がもっと奥深くで眠ってしまった時、いつかドキドキスタートのイントロを聞けばその蓋が開くかもしれない。この歌、俺のこと歌ってんじゃん この歌の歌詞が1番刺さってるの俺なんだよな なんて思ってた曲を数年後に聞いて、恥ずかしい最高の勘違いだったことに気づくのかもしれないけど、大切な曲、大切なフレーズはお守りみたいにずっと心の中に残ると思う。

 

何度も書いているけど、自分が思っているより「記憶」と「音楽」というものはリンクしていると思うし、僕が22年足らずの人生で何度も感じるということは、多分これからも続くであろう人生においても何度も実感するだろうし、きっとこれからも新しい音楽と出会っていくと思う。これから新しく出会うであろう音楽に、新しい楽しい幸せな思い出を繋げていきたいものである。思い出はいつでも、消えそうな時こそ僕の中で蘇るから。