君が描く未来予想図に僕が居なくても。

君といるだけで I'm so satisfied.

アイドルに「逢いに行く」ということ



 

なんてタイトルで書き始めたけれど、まだ内容はふわふわ・もやもや、わたがしのようなイメージしか沸いてないから、わたがしみたいにスッカスカの文章になるかもしれない。けれど、わたがしみたいにずっと口の中にしつこく味が残る文章になるかもしれないから、まあ最後まで読んでやって欲しい。普段は人の目を気にして、保険をかけた文章を書いてしまうけれど、今日は本当にストレートに思っていることを書いてみようと思う。21年近い歳月使っても日本語は下手くそだけど、文章を書くのは嫌いじゃない。この時点でだいぶポエムだけど、2020年10月23日の僕はこんなこと考えたよっていう未来の自分に向けた日記でもある。

 

 

ファンとヲタクの違いは難しいから、アイドルヲタク何年目なのかは僕も分からない。だから、「アイドルという存在を多少なりとも目で追うようになってから」で数えてみると、2011年からだからもう10年目に突入する。

僕が本格的に現場に通い始めたのは高校2年、2016年である。そこまでのアイドル現場の数が両手があれば数えられるのに対し、2016年5月からは定期的にイベントに行っていたからあのタイミングが「脱・在宅」だったと思う。

高校生の僕と言うとオリックス岩立沙穂HKT48のヲタクをしていたイメージの方が多いと思うけど、こっそり地下に行ったりコンカフェに通っていたこともあった。紆余曲折、色々あって今も僕はアイドルヲタクだ。高校の頃は坂道のヲタクにだけはならないでおこうと思っていたのに、日向坂のツイートしかしてないのもすっかり笑い話である。

 

自分の中でアイドルが「画面越しのもの」から「会えるもの」に変わるまで5年かかった。今年でちょうど通いだして5年目だからそろそろ折り返しということになる。僕はこの「画面越し」期間の長さがヲタクのアイドルとの向き合い方に直結すると思っている。

 

この子可愛い!アイドル現場行ってみるか!という風にこの期間が短い人は、現場至上主義になりがちな人が多い。このタイプは会えないとモチベが下がる傾向にあると勝手に分析している。

 

変わってアイドルを好きになってから定期的に現場に行くまでが長かったヲタクの場合である。この場合は地方住み、金銭的問題、体の問題、なんとなくの抵抗、シンプルに勇気が出ない、その人それぞれに色々事情がある。僕もこれだった。その人たちが問題が解消され定期的にアイドル現場に行くようになった場合、じわじわ券の数が増えて最終的におまいつになるパターンが多いように思う。そして、このタイプのヲタクは会えなくなってもモチベが落ちない。インターネット環境さえあればアイドルヲタクをする術を体が覚えているからである。

 

そして、コロナウイルスである。まさか東京に住んでようがクソ田舎ド僻地に住んでようが全員アイドルと握手できなくなるとは1年前誰が予想しただろうか。地上のヲタクだとそろそろ「やべ、(オンラインでは喋ったけど)最後に〇〇と握手してもう1年経つじゃん」って人が増えてきたと思う。僕と福田朱里だってそうだ。オンラインで喋ったらいつもの福田で安心したけど、やっぱり会って喋りたい。そんな不思議な時間だった。

 

元の現場数が人によって違えど、この期間で「アイドルに普通に会えてたのめっちゃ幸せじゃん」と感じたのは僕だけでは無いだろう。やっとここで「アイドルに逢いに行くこと」の話をしようと思う。

 

僕はこの期間で友人を巻き込み地下アイドル現場に行くようになった。制限はあれど生で推しメンが歌って踊ってるのを見れてチェキも撮れるんだから推しメンさえ見つかって最初の壁(抵抗)を超えれば天国だと思う。天国という場所は常に裏返しで地獄でもあるんだけど。

 

ここで実感したのは「会いに行ける」というコンテンツの強さである。単に距離感の近さもあるけれど、会える回数が48Gとは段違いである。無論、僕の推しメンがめちゃくちゃいい子でアイドルとして好きだったというのは大前提だけど。

 

こうして現場に行ったり配信に行ったりして推しメンと気持ちのキャッチボールをしていると「アイドルを見ること」と「アイドルに逢いに行くこと」は違うよなあ、と僕は思う。ヒットエンドランとランエンドヒットくらい似ているかもしれないけど、別のものだと思う。

「アイドルを見ること」は、一方通行だ。

 

画面の向こうのアイドルを見て楽しむ。アイドルの雑誌を読む。アイドルが出ている番組を見る。バッティングセンターで菅野の映像を見て打つのと同じかもしれない。


でもバッティングセンターの菅野の映像から868本ホームランを打ってもバッティングセンターの菅野の映像は投げ続けるし、それを打ち返し続けられる。菅野が引退してもメジャーに行っても菅野の映像は投げ続ける。それと同じで、「アイドルを見る」ことは、アイドルが卒業しても解散しても変わらず続けられる。僕は前田憂佳ちゃんと4人体制のスマイレージが好きだから、何百回と前田憂佳ちゃんと4人体制のスマイレージの動画を見ている。2010年のライブ映像だけど、今見ても楽しい。

 

「アイドルに逢いに行くこと」は、キャッチボールが必要になってくる。そこにアイドルがいないと成立しないからだ。


好きなアイドルが同じ空間にいて歌を歌う。踊る。喋る。それを見る。そして、会話をする。「好きです」と伝えて返ってくる「ありがとう!」が本心なのか、業務マニュアルなのかは別にしても確かにキャッチボールの相手はそこにいる。配信設備が充実した今、それは現場に行かなくても実感できる。配信にコメントしたり、ラジオにお手紙を出したら読んでもらえるかもしれないのはそこにアイドルが相手として居るからである。

 

2020年になった今、僕は前田憂佳ちゃんにボールを投げたくても投げれないし、ボールを取りたくても取れない。前田憂佳ちゃんというアイドルがもうそこにいないからだ。前田憂佳ちゃんの動画を見ることは出来ても、気持ちのキャッチボールはできない。

 

キャッチボールの楽しさは、キャッチボールをしないと分からない。キャッチボールの楽しさは、壁当てじゃ埋められない。でも、キャッチボールの怖さはキャッチボールをしてみないと分からない。アイドル現場はそういうものだと僕は思う。

 

「そこにアイドルがいる」というリアルタイム性は、「アイドルを追いかける」事を可能にしてくれる。グループの新しいMVが公開されたり、ブログが更新されたり、イベントに参加したり、それをヲタク達と「このMVいいよな」「今日の〇〇めちゃくちゃ可愛い」「今日のライブ良かった」「今日推しメンにこんなこと言われてさ‪w‪」と盛り上がれるリアルタイム性はとっても貴重で、とても楽しくて、どこか儚い。

 

部屋の時計の針は止まっても電池を入れれば動くかもしれないけど、止まったアイドルの時計が動き出すことはほとんどない。違うアイドルになったり、アイドルとは別の形でまた動き出しても、今のグループに今のメンバーと今いる時間は今しかない。それを巻き戻すことも、進めることも僕たちにはできない。

 

1人のアイドルに卒業まで会いに行ける機会が人生で100回あるとして、減る理由は沢山あると思う。金銭的な面、場所的な面、アイドル側の休演、自分の用事、そして何より今日はいいかの後回し。1回づつ減ったと思ったら突然0になる。なのに増える理由はほぼない。「行けないと思ったら行けるようになった」というケースはアイドルに会える回数10が9になったものが10に戻っただけで、11なった訳ではない。その子が「やっぱり辞めるの辞めます」なんて言わない限りこの数字は増えない。そしてそんなケースはほとんどない。引き算で、アイドルヲタクという趣味は進んでいく。「会いに行く」じゃなくても、それは配信することでも、番組に出ることでも、モバメやらメッセージやらブログやらでも同じである。当たり前だけど卒業してしまったらまあほぼ番組には出ないし、モバメは来ない。

 

でも、それでも現場に行く・アイドルを追いかけるのは付加価値が大きいからだ。

 

ライブが楽しい。推しメンとの時間が楽しい。ヲタクとの時間が楽しい。会える回数とお金は減るけど、思い出は増えていく。なぜならそこにアイドルがいるから。いなかったら、思い出は増えない。「アイドルだったあの子」の思い出や、「あの子が好きだった時の友達」との思い出は増えるかもしれないけれど。

 

バカみたいに朝早くから会場に並んで、1000円で10秒も話せるかどうかという時間のために開けもしない同じCDを沢山買って、10秒のために何十分も並んで、何回会っても同じ話しかしないヲタクと何回も同じ話をして。そんな無駄な時間が実は付加価値だったのだと気付かされたのはコロナウイルスの功績だろうか。まあ並ぶのは嫌なんだけど。


今年に入って2人、いつでも会えるし別に今並ばなくていいよな・・・と思ってた子に卒業された。そして、どちらも数ヶ月立つ今もなおしっかり引きずっている僕がいる。コロナはもちろん憎いけど、だからこそコロナになる前にもっと会いに行かなかった自分が嫌になる。その子たちのことを考えると、今他の子達と「リアルタイムで情報が提供される」ことがいかに幸せか、キャッチボール出来ることがいかに幸せか、思い出を積み重ねられることがいかに幸せかを考えさせられる。


アイドルは彼氏を作るし、ヲタクの悪口を言うかもしれない。自分がアイドルに好まれているとも思わないし、むしろめんどくさいと思われるヲタクの典型例だと思う。それでも言ってしまえば向こうは仕事で、こっちは趣味である。趣味は本来楽しいもののはずである。人生で後悔するのは仕方ないけど、アイドルヲタクではもう僕は後悔したくない。ヲタクやめた時に「なんでヲタクしてたんだろう?」とも思いたくない。「ヲタクしてたのバカだったけど、楽しかったからええか」ぐらいの気持ちでいたい。それはもしかしたら一生ヲタクなのかもしれないけど、楽しいからいいや。

 

でも僕はこれはアイドルにもそうであって欲しいと思っている。

卒業近辺にアイドルがグッと可愛く見える現象、僕は「アイドルになって良かった」と思って辞めていく子ほど綺麗に見えるんだけど、ただの思い過ごしだろうか。

こんな偉そうなことをヲタクが言うなと言う話だけど、アイドルになりたい子がみんなアイドルになれる訳じゃない。アイドルという職業でいられることはめちゃくちゃ幸せだと思うし、その時間を大事にして欲しいなと切に願うわけである。

 

「推しは推せる時に推せ」とか、「会える時に会いに行け 」とか、どこにでもあるつまらないありきたりな言葉だけど、真実だからこそ多くその言葉を見るわけで。好きなアイドルがアイドルやってるって幸せな事だと本当に思う。宮脇兒玉穴井がいた世界で1番大好きなアイドルグループHKT48はもうどこにもないし、だからこそ、小坂河田丹生がいるうちに日向坂のヲタクをちゃんとしたいなと思う。STUもネクトリも勿論そう。

 


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さて、僕としては今書きたかったことを一通り書き終えたのだけど、やっぱり最初に懸念した通り話題があっちこっち行ってわたがしみたいなふわふわしていて掴みどころのない文になってしまっている。せっかくここまで読んでくれた皆さんの中で、どこか1行でも「あーそれは分かるなぁ」と思ってくれた人がいたら嬉しい。


またそのうち脳内垂れ流す回でもやろうと思います。ではまた。