君が描く未来予想図に僕が居なくても。

君といるだけで I'm so satisfied.

なんとなく僕たちは大人になるんだ

最近なんのテーマもないブログを書いていないな、と思ったので下書きに数か月眠っていたブログという名の心に移りゆくよしなし事をここに記しておく。ちなみに、今回に関しては本当に自己満だから誰かに向けた文章でもないし、特に良い話でもないし、特にまとまりもない。ということは先に明記しておく。

 

大人列車 僕はまた乗れぬまま

小中学生のころ、大人に「大人っぽいね」と言われることが多かった。誉め言葉として受け取るなら、落ち着いていたということだろうけれど、悪く言えば冷めていたのだと思う。

 

大人になるってどういうことだろう、と考える機会があった。

 

小学校6年生からすれば、今年23歳という今の僕の年齢は大人だろう。だが、それは入学したときに見た6年生が大人に見えたのと同じで、例えば今年50歳の人から見た僕はきっとまだまだ子供に見えるのだろうなと思う。

 

僕は運動ができない。小学生にとってこれは大きなディスアドバンテージであり、周りに比べて劣っていることを突き付けられる。この体験から体育がトラウマになり、そのまま運動をしないから成長もしない。完全に負のスパイラルであるが、これに陥った人間は僕だけではないだろう。逆に言えば、運動ができる小学生はヒーローであるし、成功体験を積み重ねることができるから、そのままポジティブな人間に育っていくケースが多いように感じる。こちらは良いサイクルである。だが、このサイクルがある限り、一生体育の授業で負のスパイラルを植え付けられる人間は減らない。なぜなら、小学校の教師になるような人間は大体好循環のスパイラルを経験してきた人間だから、そんな負のスパイラルを経験しないからである。

 

負のスパイラルに陥った僕は学校が嫌いになったし、今でも嫌いなままである。担任と友人に恵まれなければ、いつどこのタイミングで不登校になってもおかしく無かったし、というか本当に常に不登校との境目に存在していたくらいには苦手だった。

 

こんなことを小5くらいで考えていた僕がここまで生きてこれたのは「諦めと妥協」で生きてきたから、な訳だけど、この「諦めと妥協」の味を小学生で覚えてしまった僕は、すごく自分の人生に対して冷めていたし、そういう部分が落ち着いて見えたのだろう。諦めと妥協で生きていた小学生の僕が大人っぽいと「諦めと妥協」を経験したであろう大人たちに表現されるのは、何とも皮肉である。

 

一人で県外に初めて飛び出した。初めて自分でお金を稼いだ。そのお金で物を買った。ポケモンセンターにいつでも行ける。本やおもちゃを買いたいときに買える。初めて一人でホテルに泊まった。もうお酒を飲める年齢になった。
自分が大人になったな、と思った瞬間どれを取っても、僕の”大人”という世界は非常に”子供”目線の大人だなと思う。だから僕は、精神年齢が低いままなのだろうな。と自分で思う。正直、自分が見た1番の自分のコンプレックスは精神年齢の低さである。周りにどう映っているのかは分からないけれど。

 

好きなコンテンツが好き”だった”コンテンツになったり、毎年増えていたバースデーケーキのろうそくがいつしか増えなくなったり、「責任」というものを背負う機会が増えたり、どんどん自分を取り囲むのものだけが大人になっていく感覚は、あの時マラソン大会でみんなから遅れて走っていたころと、根本的に何も変わっていないのである。また周回遅れで、僕はなんとなく大人になるのかな。若さとは不器用でやり残すもの、らしいけど、いつまでその若さがもつのだろうか。あるいは、マラソン大会は遅れてゴールできたけれど、鉄棒はどれだけ練習しても前回りしかできなかった時のように僕はずっと大人になれないのかもしれない。


まあ、こんな育ち方をしてきたから ”ライバルは弱気で後ろ向きな私” というフレーズが初めて聞いたときから僕は好きなんだろう。

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弱さもいつの日にか強さになるんだ

何が言いたいかというと、自分の過去が良くも悪くも大いに人生に影響を与えると僕は思う。時計の裏に刻まれた「the past should give us hope」=「過去が希望をくれる」というフレーズもまた、ある物語のメインテーマであり僕の好きな言葉である。

自分の人生を振り返ると、容姿に恵まれたわけでも体格に恵まれたわけでもなく、なんなら病気を抱えて生まれてきたわけだけれど、環境には恵まれた人生だと思う。今でも親とは仲がいい方だと思うし、弟とは喧嘩らしい喧嘩もせず、毎日だらだらくだらない話をする仲だし、祖父祖母とも仲がいい。先生にも恵まれていたし、幼稚園から高校まで、担任を持ってもらった12人の先生は自分の病気のことも理解してくれていたし、それぞれ感謝している。
友人関係にも比較的恵まれた人生だ。大きな仲違いも経験していないし、インターネット上で友人を作るようになった今、こうしてこのすでに長い文章をここまで読んでくれる人がいる、という時点で僕はきっと恵まれているのだろう。

 

諦めと妥協で生きてきた自分がなんとなく人生というゲームのロールプレイを続けているのも、今死んだら迷惑かかる人多いよなー、なんて思える環境があるからで、それはありがたいことだなと思う。友人として自分を好いてくれる人、僕が本気で悩んでたら聞いてくれるであろう人、僕が楽しいと思うことを一緒に楽しんでくれる人、が周りにいる人生っていうのは当たり前のようできっと当たり前じゃない。そんな人生を歩んでいるのも、なんだかんだ自分の過去の思い出(良くも悪くも)が形成した自分じゃなきゃここにはたどり着いていないな、とも思う。あの日の弱さが、あの日覚えた「諦めと妥協」が今の僕の武器になっているのかもしれない。


さて、そろそろ読んでる人少なそうやからアイドルの話でもするか

 

 

ずっと ずっと

「ずっと続くもの」なんて、この世界になかなかないと思う。なんだっていつか終わるし、過去になる。
過去という言葉は言い換えれば思い出だ。だが「思い出」という言葉につく形容詞は、プラスの言葉ばかりではない。

 

ずっと好きだよ、ずっとそばにいるよ、なんて、ヲタクの口からもアイドルの口からも散々聞いた言葉であり、使い古された言葉だな、と僕は思う。かくいう僕も使い古されることに貢献している訳だけれども。

 

アイドルから離れる瞬間なんて、人それぞれである。アイドルが消える瞬間と同じように、いつだって突然だ。
フロアで一緒に見ているヲタクが来週も現場にいる保証なんてどこにもない。
ステージに立ってるアイドルが明日のライブにいるかなんて誰にも分からない。

 

片恋イマジネーションで歌われているように出会いはきっと運命だと僕も思う。だけどそうなんだとしたら、別れはいつだって必然だと思う。

 

”どんな時も 元の位置に戻れる それが友” という歌詞が僕は好きで、あの歌を歌うあの人たちが好きだったけれど、あの人たちがアイドルとして再びステージという名前の”元の位置”に戻ることはきっとないだろう。

 

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今どれだけ好きな推しも、アイドルグループも、いつか絶対に過去になる事実からは逃れられない。

自分がそのコンテンツに抱いていたイメージとのズレに気づいたときに、初めてそれは過去になるわけで。

 

「他界」はマイナスな言葉として使われるけど、卒業や解散、活動休止(そこまでの経緯が円満かどうかはいったん置いておいて)での他界は別にマイナスではないと思っていて、自分はそういう「他界」でありたいな、と思う。悲しみよりも、それまでのことを「ありがとう」って言いたくなるような、そんな「他界」。それが、実は大人への道なのかもしれない。

 

もう一度書くと、「ずっと続くもの」なんて、この世界になかなかないと思う。なんだっていつか終わるし、過去になる。過去という言葉は言い換えれば思い出だ。だが「思い出」という言葉につく形容詞は、プラスの言葉ばかりではない。
そんな世界で「ずっと続くもの」があるとしたら、「思い出」いう言葉に”楽しい”とか、”大切な”が付いたときくらいなんじゃないかな、と僕は思う。

 

だから、「今」≒「みさきちゃん」≒「脳内パステル」が「過去」になって「思い出」になるときに、その枕詞はポジティブな言葉でありたいな、なんて思うわけである。

 

”忘れないあの日の歌と キラキラ輝いた夢 離さない掴んだ思い出”

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”忘れないあの日の歌” がきっとI AM HERE!で forever♡♡♡idolで メモリアル☆ショータイムで =LUCKYで でもきっと、なんだかんだ脳内パステル大宣戦で。

”キラキラ輝いた夢” にきっとTIF決勝までの日々は入るだろう。

と、TIF決勝前にこのブログをここまで書いていたんだけれど、無事あの日掴んだTIFは”離さない掴んだ思い出” の一つにきっと刻まれるんだろうな

なんて思う、TIF1週間前である。

 

 

 

「今」が「ずっと」じゃないなんて分かってるから、あの子がアイドルでいてくれる今が僕は幸せで、”ずっとずっとこのままが永遠より続くように”って歌詞が好きなんだろうな みさきちゃんとの・脳内パステルのみんなとの「今」は、思い出にするにはまだ早すぎるから。

youtu.be

ありふれた毎日が今の僕の全てなのさ

何気なく流れていく日々が最高のプレゼント

この気持ちもいつの日か掻き消されてしまうけれど

紛れもなく今のこの僕が感じてる今日のこの頃さ

 

 

 

こんだけべりーで攻めといて最後はAKBなんかい って書いてる自分でも思った

まあ、べりー責めと見せかけてAKBの歌詞ばっかりなことにちゃんと気づいたあなたは僕と趣味が似てる人やね

 

おわり