君が描く未来予想図に僕が居なくても。

君といるだけで I'm so satisfied.

宮脇咲良と僕

宮脇咲良卒業コンサートから、早くも4ヶ月弱の日が経つ。梅雨もまだ開けておらず“夏の前”だったあの日から、夏を超え、秋に入ろうとしている。

 

卒コン終わりの気持ちはこちらに綴ったが、数カ月経って落ち着いた今、僕の中での「宮脇咲良」という存在を綴っていく。

 

僕と宮脇咲良との出会いは曖昧だ。というのも、僕がヲタクを始めたタイミングが自分でもよく分からないからである。


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AKBに限って振り返ると、真夏のSounds good!(2012年5月。筆者中1)はリアルタイムでない。これは確か。次のシングル、ギンガムチェック(2012年8月)は、よく覚えていない。めちゃくちゃ曖昧。UZA(2012年10月)は覚えている。宮脇咲良が選抜に選ばれたことを記憶しているから、である。

 

宮脇咲良HKT48にスポットを当てて振り返ると、宮脇咲良が47位でランクインしたことは覚えている。これは真夏のSounds good!の選挙だから、この頃の僕は恐らく本当にHKTの情報しか追っていなかったのであろう。まだ48Gのシステムを理解していなかった頃なので、宮脇がネクストガールズとしてドレミファ音痴(ギンガムチェックc/w。センター、岩佐美咲)を歌って初めてAKBのCDに彼女の声が入ったことを知るのはここから数年後の話である。


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このくらいAKBに関する記憶とHKTに関する記憶でブレがあるので、「いつ好きになったのか」がよく分からないのである。だから、「48Gをちゃんと好きになった時にはそこに宮脇がいて、宮脇のことも好きだった」が正しい。


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そこから島崎遥香をきっかけに僕はAKB48もしっかりと見るようになり、岩立沙穂にハマり、HKTはスキ!スキ!スキップ!でメジャーデビュー、渡辺美優紀からNMBも見るようになり、宮脇咲良が髪を切り、松井玲奈からSKEも見るようになり、木本花音を知り…とどんどん48Gを知り、理解していく訳だが、メインで追いかけていたのはAKB48HKT48で、そのどちらにも宮脇咲良はいた。そして、若手選抜から始まった彼女の立ち位置はどんどん前へ、どんどん真ん中に近づいていく。そして忘れもしない希望的リフレイン選抜発表で彼女は初めて“AKBのセンター”というポジョンに立つわけである。

 

この間、僕は宮脇咲良推しだったのか?

答えはNoだ。

 

推し変歴をざっくり書くなら島崎遥香岩立沙穂本村碧唯豊永阿紀→福田朱里→😈だし、グループ別に詳しめに書くとすれば

AKB : 柏木由紀島崎遥香岩立沙穂加藤玲奈岩立沙穂

HKT : 兒玉遥本村碧唯豊永阿紀→小川紗奈

であり、宮脇咲良は登場しない。


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だが、宮脇咲良の情報は追っていたし、ぐぐたす、いや“さくたす”にも毎回コメントをしていた。

初めてライブに行った時は本村碧唯の出演が前日に決まったこともあり宮脇咲良のスケブしか持っていかなかった。

 

思い出は沢山ある。

僕が松井玲奈さんを知るきっかけになったメロンパン同盟。総選挙47位。ばっさり髪を切ったこと。さくはるWセンター。希望的リフレイン選抜発表。もっともっと色々ある。


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初めて投票したのも宮脇だった。初めてのHKTのライブがドセンでめちゃくちゃレスを貰ったことは今でも忘れられないし、楽しかった。初めての握手会で宮脇レーンで緊張しすぎてお腹痛くなったのも1年生すぎていい思い出だし、みんなで連番した写メ会も楽しかった。KIV推しだったから、たまに公演に出てくれるのも楽しみだった。白黒での宮脇本村の狼とプライドを見てあの曲を好きになって、そこから5年近く経ってまた見れるなんて思わなかった。


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「推し」ではなかったと思うし当時の僕に聞いても咲良推しでは無い、って言うと思うけど、「アイドル」としての宮脇咲良が好きだったし、心の支えだったし、毎日を頑張れる要因の一つであったのは間違いない。

 

今思えば、それは「推し」だと思うけど、なんか違う。

 

贅沢な話だが、僕の中での宮脇咲良は、いて当たり前の存在だったのだ。宮脇咲良がいることを前提にHKTで本村や豊永を推し、植木の握手会に行っていたのだと思う。


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「僕がHKTとAKBの情報を追う」上で、「宮脇咲良が48Gに在籍している」ことは必要条件だったのだ。

 

実際彼女が韓国に旅立ってから、僕はSTUしか見なくなった。今思えば、宮脇のいないHKT、AKBに魅力を感じなかったししっくり来ていなかったんだと思う。


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そして、そんなこんなで彼女は日本に帰ってきた。

宮脇が戻ってくるのをずっと待っていたし、宮脇が戻るならまた48Gを見ようと思っていた。その矢先、彼女は卒業を発表する。

 

長々と48Gいてくれないんだろうな。 どうせすぐ辞めるんだろうな。韓国でアイドルやるんだろうな。知ってた知ってた。

なんて思ってたけど、わかってたけど、それでも本当に辛かった。何も手につかなかった。受け入れたくなかった。まだ48の宮脇を見れると心のどこかで期待していたからだ。


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正直行く気のなかった卒コン。投げるだけ投げたらまさかの当選。正直干しても良かったけど、久々にHKTのヲタクに会いたくて、久しぶりに宮脇のパフォーマンスが見たくて、そして、HKTに対してずっと抱いていた「他界した訳じゃないけど 好きな訳でもない」モヤモヤした気持ちに蹴りをつけるため、行くことを決めた。卒コン前の僕は、宮脇咲良が卒業したことで僕に何かが起こるとは思っていなかったけど、HKTに対する気持ちはスッキリするも思っていた。やっぱりこのグループいいな。もう1回向き合うか。とか、逆に自分の中でいい〆になるかもしれないな。とか。


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結果的にどうなったかというと、僕はあの日以降48Gを追わなくなってしまった。HKTだけでなく、STUも含めてである。



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そのくらい素敵な卒業コンサートだった。卒コンの話は長くなるからしない。でも、あまりにも「僕が好きだったHKT48」の集大成だった。指原が言った「最終回みたいになってるけどここがスタートだよ」という言葉は間違いないが、「HKT48」としてはスタートラインでも「僕が好きだったHKT48」は確実に宮脇兒玉指原が揃った状態で宮脇を見送ったあの日に終わりを告げた。


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「好きだったHKT48」が自分の中で悔いなく別れを告げ、ホテルまで1人で1時間弱歩いて、ホテルで1人で飲んで、1時間弱温泉に浸かっていたあの時間ずっと考えていたことは、「俺、もうアイドル追わなくてもいいかもな」だった。そのくらい自分の中での気持ちがスッキリした、正確に言うならば気持ちが切れてしまったんだと思う。


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たまたま卒コンの次の日が好きな子🐣の生誕祭で、卒コンの3日後に推しメン😈のデビューライブがあったから「まあこの2本は見るか」と思えたけど、そうじゃなかったらアイドルヲタク・僕はあの日に消えていたかもしれない。今だから書けるが、🧠のデビューライブが終わったら誰にも言わずにそっと消えるつもりだった。

そんな僕を留まらせてくれたのが😈とデビューライブ1曲目「I AM HERE!」で、結果的にはヲタクを続けたおかげでめちゃくちゃ楽しく過ごせている。だから僕の中であの曲は大事な大事な曲で、あの日はターニングポイントだったと思う。


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宮脇咲良卒業から4ヶ月経って、あの時1度切れてしまったアイドルへの気持ちはまだ切れたままだ。元々好きだった子達を嫌いになることはないから、🧠を始めmint現場であったり🐱やら🐣やら🐶やら18番であったりには顔を出したいし出すだろうけど、今から新しいグループを見る余力は正直残っていない。どんなにアイドルが好きでも、意外と気持ちが切れる時はすぐ切れるんだな、と思った。

 

そのぐらい、僕の中で宮脇咲良の卒業は大きすぎた。


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僕のヲタク人生における彼女を一言で表すなら「特別なアイドル」である。勿論岩立さんや福田朱里、😈さんも「特別なアイドル」なんだけど、前提としてこの3人は僕の人生を振り返った上で外せない「推しメン」でもあった。でも宮脇は「推しメン」≠「特別なアイドル」だった。言葉にするのは難しいけど、やっぱり彼女の存在は大きかったし、思っていたより大きすぎた。


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常に自分のことよりグループのことを考える彼女の事がアイドルとして好きだったし、人として尊敬していた。僕の好きなアイドル像のベースのひとつにあの子がいるのは間違いない。


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今後彼女がどういう道を歩むのかはわからない。他の3人(岩立福田😈)と違うところは、多分僕は彼女の今後を追わないと思う。勿論応援はするけど、宮脇咲良との思い出は48Gありきのものだし、逆もまた然りだからだ。


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今後どこまでデカくなっても、有名になっても、僕の中ではきっとあの子はさくらたんで、HKT48(AKB48チームA兼任)のままだと思うけど それでも僕の人生を彩ってくれた大切なアイドルで、大切な思い出だし、僕のヲタクとしての1番根っこの部分に宮脇咲良島崎遥香がいるんだと思う。


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10年間アイドルお疲れ様でした。

 

君と出会えて、君がいる48Gを追いかけられたことは幸せで、君がいないとこうならなかったと思う

 

全部が全部繋がって 今の僕がいて、今の推しメンに出逢えたから、僕にスタートラインであるHKT48でアイドルになってくれてありがとう


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今後のご活躍をお祈りしつつ、このブログも締めたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。